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2018年03月03日(土) 

 

 

我が国の文化は、高文脈文化と言われている。《高文脈文化》の特徴は、’言葉以外に状況や文脈も情報を伝達する。重要な情報でも言葉に表現されないことがある’ ということだそうである。

 

司馬遼太郎は、こうした ‘言いたいことも言えない’ 言語事情を憂いていた。我が国の高文脈文化の言語環境を問題視していたのである。

彼は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、バラバラな単語でない文章の重要性を強調している。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。 、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

日本語では、大切なことも文中に表現されないことがある。だから、聞き手は忖度 (推察) でこれを補うことを常としている。我々は、言外と忖度の組み合わせによる非言語 (nonverbal) の世界に心を奪われているに違いない。これを、’なあなあ主義’ というのであろうか。内弁慶の里の習慣である。

山本七平は、’空気の力’ という非常に興味深い事実を発見した。彼は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘している。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。

 

賛成派は忖度派である。忖度の内容は聞き手の勝手な解釈であるから論拠が無い。議論にならない。話にならない。これは、高文脈文化である。現実直視がなされず、空想・妄想になる。

これに対して、反対派は理性派である。理性派の伝達される情報は言葉の中で全て提示される。これは、低文脈文化である。現実直視により哲学になる。議論もできる。

反対派が賛成派に負けるということは、理性で感情を抑制でない人達であるということである。つまり、日本人は、’感情的な人達’ であるということの証拠であります。だから、そうせざるを得ない最終的決定があるのです。非常に興味深い人間なのです。

 

忖度派には、考えというものが無い。だが、我が国の評論家には暗記力で鍛えた ‘受け売り’ の技がある。だから、彼らは、多弁で多数でどこにでも存在する。

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思が無くては仕方がない。問題を解決しようとして同じことを繰り返す。これも、受け売りの様なもので、自滅する。思慮が足りない。’私は、粘り強いのが取得です’ と弁解する。

<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

おそらく日本人が言いたくても言えない内容は、意思の内容であろうと私は推察している。

日本人には、意思が無い。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制というものがないから、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。意思を表明しなければ、意思は意識に登らない。加害者意識も意識できない。加害者意識は、罪の意識でもある。我が国のお殿様にも、宰領たちにも意思が無かった。意思を表明する者もいなければ、意思の有無を尋ねる者もいなかった。そして、日本残酷物語が出来上がった。

 

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

 

意思が無ければ、責任もない。ちょうど、死刑執行人のようなものである。人は死んでも、彼らは殺人罪には問われない。彼らには、殺意という意思が無かったからである。意思が無くても、土佐原藩の16人は、責を負って切腹した。

我々日本人も英語の勉強をしよう。我々が時制を学び、意思の表現を獲得すれば、意思を基準にした有罪・無罪の判定も容易になるに違いない。これにより、我が国にも陪審員制度ができるかもしれない。我が国の残酷物語も昔物語になるに違いない。

 

 

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閲覧数896 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/03/03 11:01
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