>落合陽一「日本再興戦略」より引用します。 >============================== >もうひとつ欧州発で日本には向いていないものがあります。>それは「近代的個人」です。>日本が近代的個人を目指し始めたのは1860年ごろで、それから150年以上も経ちましたが、いまだに日本には「個人」によって成り立つ「国民国家」という感覚が薄いように感じます。
そうですね。個人主義は、我が国に根付いていませんね。それは、我々日本人が ‘考える人’ になれないからではないでしょうか。
>むしろ個人に伴う孤独感のほうが強くなっているのではないでしょうか。
考えることのできない人がバラバラな生活をしたら、孤独感はさらに深まることでしょうね。
>これも日本人が「個人」を無理に目指してきたからだと思います。
西洋人は、成人すると ‘考える人’ になります。日本人は、無哲学・能天気のまま生活を続けます。この違いが問題の焦点になるものと思いますね。制度上の個人主義に、精神上の個人主義が追いついていないためでしょうね。 現実の内容は頭の外に存在する。現実は、見ればわかる。非現実 (考え) の内容は頭の中に存在する。非現実は、見ることが出来ない。考えの内容は、ただの話になっている。 個人の違いは、考えの内容の違いにある。その違いを認め、大切に保護することが、個人主義である。考えの上での個人が存在できる。だから、考える事のない人達にとっては、個人の完成を目指しても無理である。そして、ご唱和の勧めと付和雷同になる。 自由は、意思の自由である。日本人には意思が無い。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制というものがないので、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。 日本人には、意思は無いが恣意 (私意・我がまま・身勝手) がある。恣意は、文章にならないで、バラバラな単語のままで存在する。意味もなければ、矛盾を指摘することもできない。だから、議論にもならない。どこの国においても認められるものではない。恣意の自由は、’自由のはき違え’ である。だから、我が国においては、昔通りに ‘不自由を常と思えば不足なし’ となります。 個人主義は、立憲主義、人権、民主主義といったような近代憲法の諸概念とともに欧米由来のものでありますが、こうした諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎でありますから、我々日本人は普遍的なものとして受け入れなければならないでしょう。だが、この ‘普遍的なもの’ (universality) というところが、考える習慣のない人には理解できないのです。各人に哲学が必要であります。Everyone needs a philosophy. 個人に哲学を持たせるためには、英米の高等教育が必要です。さすれば、日本人は教養のある人に生まれ変わります。
>江戸時代には、日本人は長屋に住んで、依存的に生きてきました。
そうですね。昔は大所帯の構成員が、肩を寄せ合って暮らしていましたね。個人的な自由は、大幅に制限されていましたね。
>我々は個人なんてなくても、権利なんて与えられなくても、江戸時代など、対外的には大規模の戦争をせずに生きていたときもありました。
そうですね。鎖国政策でやっていける国際環境でありましたね。
>戦国時代以降、内戦状態により、「自然に」成り立った地方自治の境界線を保ちながら、その連合国家で何とか上手くやってきたのです。
徳川幕府の知恵のおかげですね。太平の夢が見られました。隠密の情報収集も役立ちましたね。
>それなのに、日本人は自分から依存を切ってしまいました。
国際環境が変化して、文明開化が必要になったからでしょう。
>個人の持つ意味を理解していないのに、西洋輸入「個人」ばかりを目指すようになってしまったのです。
そうですね。考えることのできない人たちの個人主義は、魂の抜けた個人主義ですね。ただ、空しいばかりです。
>今では、長屋もないし団地も減りました。>隣の人に醤油を借りることも無くなってしまいました。
そうですね。我が国は、経済大国になりました。
>過去の状態が理想状態とは言いませんが、我々は過度に分断されるようになった。
我々は、個人の自由を求められるようになったのですね。
>そしていつの間にか日本人がバラバラになってしまったのです。(中略)
個室が持てるようになったからでしょう。
>このまま西洋的個人を脱却できなければ、いろんなところにひずみが出てきます。
我々には、個人主義の理解が必要ですね。脱却は必要で無く、我々の意識改革の方が必要ですね。
>今、世界で吹き荒れるポピュリズムやグローバリゼーションの民主主義の限界を見ればそれは明らかです。
大衆主義や地球規模化の副作用は、民主主義から取り除かなければなりませんね。 しかし、今のところ、民主主義を超える政治形態が見つかっていないので、この最低の制度は守り続けてゆく必要があるのではないでしょうか。
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