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2018年05月13日(日) 

 

 

>世代による価値観の相違がしばしば話題になるが、”平成世代”と”昭和世代”の学歴に対する考え方も、意見が分かれるところのようだ。>ソニー生命保険は5月8日、「平成生まれ・昭和生まれの生活意識調査」の結果を発表した。

 

興味ある意識調査ですね。

 

>調査対象は全国の平成生まれの男女(20歳~28歳)と昭和生まれの男女(52歳~59歳)で、平成生まれ世代を比較対象とするため、昭和世代の対象は年齢を離している。>調査期間は2018年3月16日~3月19日の4日間、インターネットで実施。>平成生まれ500人、昭和生まれ500人、合計1000人の有効サンプルを集計した。(文:okei)

 

‘昭和は遠くなりにけり’ですね。

 

>◆平成生まれは「学歴がなくてもいい」、昭和生まれは「学歴は必要」が多数派に >人生において「絶対に学歴が必要」と「学歴はなくてもいい」では、どちらの考えに近いか聞いた。

 

我が国においては、学歴は人間序列の言い替えに過ぎないものですからね。学問を無視した学歴は、さしずめ処世術というものでしょうね。

 

>平成生まれでは、「絶対に学歴が必要」が9.2%、「どちらかといえば必要」が31.6%で、必要だとする人は約4割に留まった。>対して「学歴はなくてもいい」は18%、「どちらかといえばなくてもいい」が41.2%で、合計で6割近い平成生まれが「学歴は幸せな人生のために必ずしも必要ではない」と考えていることがわかった。

 

無哲学・能天気の日本人生活では、名ばかりの教養が幸せな人生につながりませんね。

 

>一方、昭和生まれでは「学歴が必要」と考える人が多数派となっている。>「絶対に学歴が必要」9.8%、「どちらかといえば必要」41.2%で、必要派が合わせて51%と半数を超えた。>「学歴がなくてもいい」は9.2%と平成生まれのほぼ半数で、「どちらかといえばなくてもいい」は39.8%だった。

 

学歴があるからと言って、必ずしも学問好きとは解釈できませんね。

 

>◆いい学校を出たらいい会社に入れて幸せに、ということが成り立たない時代?

>さほど大きな差ではないように見えるが、昭和生まれが学歴を重視する理由はよくわかる。

 

そうですね。それは、我が国が序列社会ですからでしょうね。上下判断は、処世術の必須科目の様なものですね。日本人の礼儀作法は、序列作法ですからね。人を見損なってはいけないという想いは、日本人の強迫観念の域にまで達していますね。そうでなければ、我々は礼儀正しい日本人にはなれません。序列なきところに、礼儀なし。

 

>「学歴がある」を仮に「大学卒」と考えると、この世代はどんなレベルの大学でも歴然と賃金や労働待遇に差が出ることを体感している。>就職や転職の際、募集要項が「大卒」となっていて落胆した人も多いだろう。

 

我が国においては、世俗の序列感覚に基づく序列制度が確立していますね。

 

>年功序列が崩れたといっても、まだ多くの企業はこれまでのやり方を踏襲している。

 

そうですね。日本人から序列判断を取り除いたら、あとに何も判断材料が残らない状態ですからね。日本人は、判断に自信が持てなくなります。不安です。身に危険が迫ります。

 

>対して、平成生まれに「学歴はなくてもいい」が6割を占めることは興味深い。

 

‘考える人’ (教養人) になる事の魅力が無いからでしょうね。初等教育から、高等教育まで、一本調子の日本語を話す言語環境では、教養人の魅力はありませんね。非現実 (考え) の内容は文章にならず、脳裏に収まらない。大学の4年間を遊んで暮らすしかない。日の下に新しきものなし。学ぶ内容が無い。退屈男と退屈女が大量に生産されています。

英米の高等教育機関では、現実の外に、非現実 (考え) の内容を作文することを教えますから、英語の話し方も変わります。自己の考えの内容を表明することも習得します。ですから、社会に ‘考える人’ (教養人) が増えてゆきます。だから、世界から留学生が集まります。

 

>20~28歳は大卒・高卒の違いが人生にさほど影響を与えていない、もしくは大卒であることのメリットを感じられないのかもしれない。>学歴が賃金差や信用に繋がる経験がまだ少ないことや、重い奨学金返済に苦しむくらいなら、早いうちに働きだした方がいいという考え方もあるだろう。

 

そうですね。重い奨学金の返済の解消には、高等教育の無償化が必要ですね。それと同時に大学の4年間を遊んで暮らす状態は、改めないといけないですね。つまり、高等教育の充実が必要です。

 

>正確なところは、学歴別の調査を見る必要がある。>しかし何より、世代別で意識に開きが出たことは、「良い学校に入れば良い就職が出来て幸せな人生になる」というような人生設計が、描けない時代であると示唆しているように思う。

 

そうですね。大学は、職業学校ではありませんからね。しかし、それ以上に、日本人にとって ‘教養’ を身につける魅力の無さが、大きく調査結果に出ているのでしょうね。我が国の言語環境の影響でしょう。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻語でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>そうした人生にしたいかどうかも別問題で、「いまの新入社員はプライベート重視」といわれるように、何が人生における幸せなのかという、そもそもの価値観が変わって来ているのかもしれない。

 

‘考える人’ になる事が大切ですね。その真逆の状態が、無哲学・能天気として我が国民性に表われているのでしょうね。

 

 

 

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閲覧数520 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/05/13 22:00
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