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2018年08月06日(月) 

 

 

 

>現在、特に僕のような世代で多く見られるタイプ。>それは不全を感じたら発信をまったくしない。

 

声なき民のままで過ごすのですね。

 

>もしくは発信はするが、完全に自我(仲間内)での発信のみ。

 

仲間同士の恣意疎通ですね。なーなー主義ですね。

 

>全体へ発信をしないというはどういう思考があるのか?>まず、上や、全体に対して発信したときに出てくる感情はなにか?について僕を検証し算出していく。

>①目立ちたくない=何故? >②賛否はあるが、否定されたくないという思い >③何よりも評価を気にしている。 >この3点が大きなポイントなのではないかと感じます。

 

そうかもしれませんね。

 

>①目立ちたくないというのはあるいみ、闘争課題ももたず、とにかく良くも悪くも誰の敵にもならないような、或る意味は器用な立ち位置として存在すること。

 

日本政府のようなものかな。’傷一つ受けても損は損’ という考えですかね。処世術の教えるところでしょうね。

 

>現状会社に入社しても、成果のよしあし関係なくお金はもうらことができるしそのお金に対して、無難に生活ができるという事実がある。

 

安全第一ですね。お変わりのないのが何よりですね。天下泰平の証ということになりますか。

 

>つまり、現状そんなリスクをおこすようなことをせずとも、先人にぶら下がるだけでリスク回避ができるという現実がそうさせているのだろう。

 

水と安全は、只で手に入りますかね。

 

>②やはり、発信というのは対外の人は自分発になるというところがポイントは、自分はこれだけやりました!自分はこれだけ考えました!!というのを強烈にアピールするのだろう。

 

そうですね。第一人称に関する内容の発信ですね。考え (非現実) に関する自己表現のないところが、日本人の欠点ですね。

 

>しかし聞き手はそんなことを求めてるのか?というところ。

 

個人主義は、この国にはないでしょうね。ですから、自分との考え違いを相手に求める習慣もないですね。つまり、我々は無哲学・能天気の民です。

 

>対象を捉えるというのはつまり、誰が聞いても理解できるように内容をどれだけ噛み砕き伝えることが第一だとおもう。

 

全ての内容は、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを表している。だから、正解は一つではない。たくさんある。

矛盾を含む文章は、その矛盾さえ取り除けば正しい考えになる。

 

>自分発の発表から相手発への発表へ転換したときに初めて、本質をつかめてくるのだとおもう。

 

学問には、客観性が必要ですね。日本人の得意な忖度 (推察) は、聞き手の独りよがりの解釈ですから、客観性はありませんね。したがって、議論にもなじみません。

 

>③現状、基本観念は何故か評価というものが存在する。

 

日本人には、’上とみるか・下とみるか’ の判断がありますね。日本語には、階称 (言葉遣い) というものがありますから、日本語を使う場合には、世俗の上下関係を知識として持つことが必要になります。ですから、世評の結果は大切です。

 

>これは人の優劣を付けるものであり、評価が低ければ弱い・悪い 評価がよければ偉い・良い という観念が小さいころからの成績制度であったりそういった所からかなり固定されてしまっている観念なんだとおもう。

 

そうですね。かなり固定的な序列的評価がありますね。ですから、日本人は出世欲・向上心というものがあります。’小さな体に大きな望み’ と歌われておりました。

 

>だからこそ、自身の発信・発表による相手からの評価ばかり気にしてしまう。

 

序列判断は、日本人の場合には自他ともに強迫観念の域にまで高められていますね。自分の発信・発表を敬遠する結果になりますね。

 

>だからこそ、怖い・逃げたいという逃避思考。

 

そうですね。’評価・評価’ でもう頭が一杯になっています。絶え間ない評価が、自己表現に対する抑制として強く作用しています。深い海の底にでも隠れていたいですね。

 

>上記にも述べてあるが、やはり発信をするにしても、自分発にならないことが本当に大事である。

 

そうですね。個人主義がない国の護身術ですね。

 

>相手の考えてること・知りたいことに対する同化これにつきるわけで、これができなけなければこちらの伝えたいことを共有されるのは非常に難しい。

 

日本人の得意な忖度 (推察) を働かして、相手に巧言を吐くしかありませんね。

 

>人は同化→親和という構造があり、同化できなければ、親和もできない。親和のない関係での話しなんて表層的であり、信用などは生まれない。

 

‘民信なくんば立たず’  (論語・顔淵) ですか。大変残念なことですね。個人・個人で考えの内容は異なるものですがね。その内容を知りたがらないで、これまでの没個性的な世界に埋没したままでいるのは宝の持ち腐れですね。個人を発掘すれば、我々は大きな宝を手にすることができるでしょう。現在に日本は、深刻な人手不足に陥っています。ですが、頭脳不足といった話は聞いたことがない。だから、個人の頭脳を活用することが必要です。

 

>信用がないからこそ発信することから逃げる。もしくは聞かないのだと思う。

 

そうですね。全てが不信の世界ですね。個人の価値が喪失した世界ですね。我々は、大切なものを見逃しています。

 

 

 

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閲覧数45 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/08/06 03:46
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