>・軍部が戦争を継続したのは、勝てる見込みがあったからではなく、ここで敗北を認めれば、軍の面子が潰れ、なぜ勝てない戦争をはじめたのかと責任を追及されるからであって、そういう嫌な事態を少しでも先延ばししたかっただけのことである。
そうですね。わが国は、’恥の文化’ の国ですからね。でも、嫌な事態の先延ばしにも限度というものがありましたね。日本人に英米流の責任観念がないので、責任を追及されたら困りますね。
>・軍が国民を守らないことは、敗戦直前、ソ連軍が満州に侵入してきたとき、軍の上層部はそのことを日本人開拓団に知らせもしないで自分たちだけいち早く逃げ出したことなどからも明らかである。
そうですね。’わが身可愛さ’ から出た軍の上層部の行動でしょうね。
>・サリドマイドのときであれ、エイズのときであれ、国民を薬害から守ることよりも厚生省共同体の利益と面子を優先する厚生官僚も、国民のことなど念頭にないという点で軍部官僚と同種の人間であることは誰の眼にも明らかであろう。
そうですね。大臣の官僚に対する監督も不行き届きだったのですね。
>・軍部官僚は敗北を国民に対してのみならず、味方の軍にも隠した。>そのため、敗北の原因が追究されず、敗北を招いた責任者も明らかにならず、したがって、同じパターンの敗北が何度も何度も繰り返されることになった。
‘勝った・勝った’ の ‘負け戦’ ですね。隠蔽により被害が拡大しましたね。
>つまり、すべてが隠されるため、愚かな作戦を立てた軍部官僚は追放されず、その身分は安泰で、次にまた同じような愚かな作戦を立て、そして、兵士たちはいたずらに大量に戦死したのである。
そうですね。悪循環ですね。兵士は犬死ですね。人命尊重はなかったのですね。
>・これは、間違った判断をした厚生官僚は免官されず、その身分は安泰で、同じ厚生省共同体に属している製薬会社に天下りして次にまた同じような間違いを犯し、そして、厚生省が本来ならその健康を守るべき国民の多くが薬害に苦しむことになった事態と構造的にまったく同じである。
そうですね。同じ行動様式ですね。頭の構造が同じですからね。
>・また、ミッドウェイ海戦を大本営は勝ち戦いくさであったかのように報道したが、戦後になって、大敗であったことを認めざるを得なくなってからも、当時の軍関係者たちは敗北の原因が作戦のまずさにあったことを隠蔽し、「運命の五分間」とか何とか言って偶然の不運のせいにしつづけ、そして、敗北を隠蔽したのは国民にショックを与え、国民の戦意を殺そぐのを避けるためであったと弁明した。
国民のショックを防ぐのが、軍関係者の絶対的な使命のようですね。ショックを与えることなく、国民を奈落の底に突き落とすという術策ですか。意思がなければ、その罪もない。
>・この弁明は、非加熱製剤でエイズに罹った血友病患者にその事実を隠しつづけたのは、患者にいたずらにショックを与えるのを避けるためであったという厚生官僚の弁明とまったく同じパターンで、軍部官僚と厚生官僚は言い逃れの仕方まで似ているのである。
国民のショックを防ぐのが、官僚の絶対的な使命のようですね。
>・在米日本大使館員の怠慢のため、宣戦布告が遅れ、真珠湾攻撃を宣戦布告前の攻撃にしてしまった大失敗を、外務省が五十年近く正当化しつづけたことは有名である。>しかも、この大使館員は、何ら処罰されず、その後順調に昇進し、次官にまでなっている。
とかく、この世は無責任ですね。調査がなければ、処罰もあり得ませんね。
>・日米関係に関する日本側の資料は、三十年以上前のものであっても、日本の外務省の要請があって、公開してくれないとのことである。>外務省がなぜこの外交文書を隠したがるかは、今さら説明するまでもなく明らかである。
それは、国民のショックを防ぐのが官僚の絶対的な使命だからでしょう。
>そのため、日本の外交は過去の失敗から学ぶことができない。
我々は、真面目に学習することのできない民族ということになりますね。
>・文部省は、これまで一度としておのれの失策を認めたことがない。
我々は、皆同じ人間ですから、失策というものも誰にもあると思いますがね。省庁の無謬性ですかね。
>文部省だけのことではないが、失策を認めると権威が落ちると思っているらしい。
世俗の権威というものは、そういったものかもしれませんね。何せ、日本人には英米流の責任観念がないのだから、どうにもならない。
>つまり、嘘にもとづく権威で国民を支配しようとしているわけで、これほど国民をバカにしていることはない。
そうですね。民度の低さを露呈していますね。しかし、このまま放置しておけば、今後も国民はバカにされ続けるでしょうね。意思のない人間であっては、どうしようもない。 意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがないので、日本文には未来時制の内容がない。だから、日本人には意思がない。アニマル同様である。あるのは、被害者意識ばかりである。だが、英文法には時制があるので、英米人には、意思がある。我々日本人も日本語とともに英語をも学んで、英米流の高等教育を受ければ、正しい考え方ができるようになります。 時制の使い方を覚えて、自己の意思の内容が表現可能になれば、加害者意識をも持つ様になる。罪の意識も体験できて、失策に対する深刻な反省に陥ることもある。さすれば、徹底的な学習を心がけるきっかけができる。それで、わが国にも真面目な学習者が生まれることになります。
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