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2018年08月16日(木) 

 

 

 

>現代で「試験」といえば、「暗記力」だけを試され、正解のある問題をいかに素早く答えるかだけが試される。>それは生きていくのに正解があった時代だから許された。

 

正解を暗記させて、その正答率で人間序列の順位を定める。これが、伝統的なわが国の昇進制度ですね。

 

>だが、今や、正解のない時代に突入しているのに、未だに、試験制度が、旧体制のままである。

 

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを示している。だから、正解は一つとは限らない。幾らでもある。

矛盾を含むも文章も、その矛盾を取り除けば正しい考えになる。だから、個性が出ている個人の考えは大切である。個人主義は必要である。

 

>更に、その底流には、立身出世しかない。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。’上とみるか・下とみるか’ の判断が日本語会話には欠かせない。人を見損なってはいけないという想いは日本人の場合、強迫観念の域にまで達している。

序列社会においては、下位の者ほど割が悪い。だから、向上心がわく。立身出世の夢をもつ。小さな体に、大きな望み。昔話は今の世にも生きている。

 

>これでは到底社会に必要な人材が出てくる筈がない。

 

そうですね。つまらぬことを種にして序列順位の争いが激しくなるばかりですね。世の中には、処世術を駆使しても成功させたいことばかりがある。

 

>ここで江戸時代の人材登用に関しては、中国の科挙の制度の弊害をキチンと吟味して、暗記ではなく、集団を守る、繁栄させる視点での人材本位で決めていたということは、充分に注目に値する。 

 

人材登用に関して、人物本位の基準は大切ですね。個人主義の時代になっても、人物本位は変わりませんね。人物本位の内容には、個性が宿っている。

 

 

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閲覧数964 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/08/16 15:39
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