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2019年03月30日(土) 

 

>日本における「マナーの変化」に驚かされることが多くなりました。

>(中略)

>特にビジネスの世界では、多くの新しい「謎ルール」が出現しているようです。>例えば、日本独特のカルチャーとして、取引先を訪問するとお茶が出るわけです。>その場合に、「お茶を飲むのは失礼だからダメ」という考え方があるらしく、最近では「マナー講師」という怪しい職業の人などが真顔でそういう「指導」をするようです。

 

本当に、おかしな講師ですね。

 

>(中略)

>多くの「謎ルール」は問題があると思います。>例えば、日本独特の習慣として宴席での「お酌」というのがあります。これは今でも昔とは変わらない感じであります。ですが、最近は「ビールを注ぐ」際に、「ラベルを上に」しなくてはいけないという「新ルール」が加わっており、これをやらないと「目上の人が怒る」というケースがあるようです。

> (中略)

>キリンの瓶しかないので、サントリーの社員に出す際には、ラベルを「下向き」にするという(勿論その逆もあり、サッポロやアサヒも)ルールもあるそうですが、これもバカバカしいとしか言いようがありません。

 

‘バカになれ、バカになれ’ ということですね。’理屈を言ってはいけない’ と言う指導は、私も何回となく受けました。

 

>ケイレツ取引を強要するという意味では、独禁法違反ですらあります。

> (中略)

>乾杯でグラスなりジョッキを合わせる際には、「偉くない人」は「偉い人」の下から合わせるというのもあります。>これも昔はなかった謎ルールです。>乾杯というのは、一斉に音なり掛け声をかけて、ある種の喜びを表す「一体感のためのセレモニー」です。>若い人がそんな中で「自分のグラスが上にならないように気遣う」などという「冷めた計算」を強いられるのは、もはや乾杯とは言えない感じもします。

 

そうですね。‘日本の常識は、世界の非常識’ ということですね。

 

>飲み会の謎ルールとしては、日本酒を徳利で注ぐ場合は「注ぎ口」が上になるようにわざと反対に持って、「注ぎ口でない側」で注ぐのが丁寧だという「新ルール」も出現したそうです。>理由が実に奇妙で、「注ぎ口には毒を塗ってある危険があり、それを避けるように反対にするのが丁寧」だというのです。>ですが、江戸時代の話としてもそんな「毒殺」の伝説などというのは聞いたことはありません。>もしかすると韓流ドラマの宮廷陰謀シーンなどの影響かもしれません。

 

あなたは、知識が豊富ですね。

 

>とにかく、この「徳利を反対に」というのも、最近では一部にこだわる人がいるらしいので困ったものです。

 

‘人のふり見て、我がふり直せ’ ですかね。

 

>こうした「謎ルール」の中でも、私が非常に心配しているのがハンコの押し方です。>日本独特の文化としてハンコというものがあります。>特に会社の中では稟議書とか回覧決済などと言って、多くの関係する部署の担当者がハンコを押し、最後に管理職や役員など「順番に偉い人」がハンコを押して決済する仕組みがあります。

>何よりも、そのように紙を回してハンコを押すということ自体が古いし非効率です。>ファックスやPDFでなく原本を回している間にビジネスチャンスは消えてしまうのが現代と思うのですが、百歩譲って、これは仕方がないとしましょう。>問題は、下役は上司に対して「お辞儀をしている」ように、「ハンコを上司の決済欄の方へ傾けて」、しかも「下になるにつれて傾けて押す」という「謎ルール」が生まれているとうことです。

 

礼儀正しい日本人の復活ですね。

 

>飲み会の謎ルールはまだ笑って済ませられるところがありますが、このハンコを傾けるというのは、問題です。>これはダメです。>とにかく、そんなことを有り難がる上司がいるというのでは、正しい判断のできる会社なのか心配になります。

 

そうですね。日本人であるならば、日本語に基づく ’序列メンタリティ’ (考え方) は避けられませんね。

 

>特に、お金の絡む決済書類であれば、捺印というのはイコール「承認と統制」という法律行為です。>例えば、統制というのは、要するにチェックです。>誤りはないか、公私混同はないか、法律違反はないかを確認する法的責任が伴う行為です。>統制が不要なら、起案者である若手と、決済者である部長や役員だけがハンコを押せばいいのですが、その間に課長とか係長のハンコが必要なのは「統制」つまりチェックのためです。>にも関わらず、係長が最終決済者の部長や役員のことを気遣ってハンコを傾けるというのは、そこにソンタクや不正の入る余地がある、そう感じざるを得ません。

 

そうですね。日本人には、忖度 (推察) がつきものですね。忖度は、聞き手本人の勝手な解釈でありますから、話し手には何の責任もありません。議論の対象には、なりませんね。

 

>一番そういうことをやってはいけない金融機関などで、この「ハンコのお辞儀」が広まっているという話を聞くと、もう「日本オワタ」という感じがします。

 

何処までも、礼儀正しい日本人ですね。礼儀作法の正しさは、地獄の底まで続くのかな。

 

> (中略)

>「謎ルール」が暴走する背景には、運動部気質とか、パワハラ体質といった悪しきカルチャーの影響もあるようです。>これはとにかく、社会が厳しく監視して、そのような謎ルールを強制すること自体がパワハラであり、コンプラ違反の温床だということを口を酸っぱくして言い続けないといけません。

 

口を酸っぱくするだけでは、効果がないでしょうね。謎ルールの発生はする機序を理解させる必要がありますね。

 

>もう一つ考えられるのは、「マナー講師」という職業の流行です。>こうした「外部講師」について言えば、サービスを依頼しているのは「悩んでいる若手」ではなく、「若手を教育したい人事部や経営陣」ですから、とにかく「できるだけ丁寧に」という姿勢になります。

 

本当に、日本人は丁寧ですね。

 

>その結果として、「謎ルール」を抑制するのではなく、「こうしたマナーはご存知ですか?」的なアプローチで、反対に暴走させる傾向があると思います。>本来は、経営者や管理職の研修の際に、「謎ルール」などを使って権力行使をするのは、グローバルな常識からは「アウト」だということを訴えていく、それが「マナー講師」の本来の姿ではないでしょうか。

 

そうですね。 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。日本語の会話を覚えるためには、言葉遣いを覚えなくてはならない。言葉遣いを覚えるには、世俗の上下関係 (序列関係) を覚えなくてはなりません。日本人の礼儀作法は、序列作法になっているので、世俗の上下関係を覚えていないと、礼儀正しい日本人にはなれません。人を見損なってはいけないという想いは、日本人にとって脅迫観念の域にまで達しています。マナー講師は、そうした苦悩を背負う日本人のための救世主に違いありません。だが、そこまで説明するマナー講師はいないでしょうね。

西洋人の価値判断は、考え (非現実) の内容を基準にしています。考えの内容は、’あるべき姿’ (哲学) が基準になります。それを守るために信仰心があります。一人一人に哲学は必要であります。Everyone needs a philosophy.

日本人の価値判断は、現実の内容を基準にしています。現実の内容は、序列が基準になっています。それを守るために謎のルールが存在します。’できるだけ丁寧にすること’ です。

どうして日本人には考え (非現実) がないかということになりますが、それは日本語の文法に関係があると思います。日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、非現実の内容を文章にすることができません。それで、日本人は、無哲学・能天気の状態でいます。

英語には時制があるので、英米人は、哲学的です。非現実の独立した三世界 (過去・現在・未来) を表現できます。三世界の内容を語れば、それは世界観 (world view ) を語ったことになります。現実と非現実を語る人は、思慮の深い人です。現実のみを語る人は、浅薄な人間になります。

 

 

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閲覧数17 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/03/30 21:55
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