>「自分の意見を言わない」「主体性がない」と最近の子どもは言われます。
「自分の意見を言わない」とか、「主体性説がない」などの特徴は、日本人の子供も大人も似たようなものですね。何も子供に限った特徴ではない。我々に共通の文化的な背景により生ずるものでしょう。 日本人には、自分の考えを表現する方法がない。 現実の内容は、頭の外にある。これは、他の人も見ることができる。見ればわかる。 非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。誰も見ることができない。ただの話である。話の筋がわかる為には、その文章を理解することが必要になる。これは、容易なことではない。 見ることのできる内容は、本当のこと (事実) である。見ることのできない内容は、’嘘’ である。誰も、見て来たような嘘をつく人間にはなりたくない。だから、自分自身の考え (非現実) を他人に語ることはしない。これが、すなわち思考停止の状態である。それで、日本人は受け売り専門の人になるしかないのである。
日本人には、自己の意思を表す方法がない。だから、主体性がない。自己の意思を表せば、当事者・関係者となる。表さなければ、傍観者にとどまる。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。 意思は、未来時制の文章内容である。ところが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語脳裏には未来時制がなく、日本人には意思がない。優柔不断・意思薄弱に見える。子供とて、これと同じ境遇にある。
>でも子どもたちは自分の意見を持っていないのでしょうか。
あるでしょうね。意見は、人さまざまですからね。しかし、その表現は難しい。
>私は子どもの豊かな感受性や潜在思念には計り知れない可能性があると思います。
そうですね。子供の発言に期待がかかりますね。
>観念に縛られず、常に何か新しいことを見つけては楽しそうにしている。
そうですね。子供にとっては、毎日が新発見の連続ですからね。
>ではなぜ子どもは自分の意見を言えなくなっているのか。
本格的には、思春期の言語機能の大幅な発達が必要でしょうね。それにしても、文法の問題は、避けて通れませんね。
>→リンク >こちらの記事ではその理由として大きく以下の4つにまとめられています。 > ***************************** >①話のテーマに興味がない
関心事は、人それぞれですからね。特に、現実離れのした内容は理解することが難しい。
>②意見が出るような聞き方をされていない
もっぱら説教を旨とする指導者に教育されているのですかね。生徒に自主性を持たせずに、ただ押し込むように教えている。
>③間違いをおそれている
独善的に唯一の正解を示して暗記させ、反対派を厳しく弾圧しているのですね。
>④他と同じことがいいと勘違いしている
もっぱら異口同音・ご唱和の練習をさせている。’和をもって貴しとなす’ か。
>その上でどうしたら子どもが発言できるようになるのかが4つまとめられています。 >①関心があるテーマについて話をしてみる
それは、良いことですね。関心事は、人さまざまですからね。現実の内容はわかりやすく、非現実 (考え) の内容は理解が難しい。
>②意見が出るような質問をしてみる(「なぜだと思う?」「どうすればいいと思う?」)
子どもに発言の機会を与えることが必要ですね。
>③意見には正解も不正解もないことを教える
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。 矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを示している。だから、正解は、一つではない。たくさんある。人それぞれである。 矛盾のある考えも、その矛盾を取り除けば、正しい考えになる。だから、人との対話が意見を正しくする助けになる。
>④他と異なる考えや意見こそが重要であると教える
考えは、人さまざまである。正しい考えの違いは、個性の違いを表わしている。考えのない人たちは、没個性的である。
>**************************** >これらは表面的な理由と対応であると思います。 >子どもは親や大人が思っているよりも洞察力があるし、相手に対して同化する力があると思います。
そうですね。子供は、洞察力を使って生活していますね。
>子どもに「教える」立場でいると、子どもは心を開いてくれないのではないでしょうか。
そうですね。Spoon-feed (子供や産業などを過保護にする) は良くない方策ですね。
>意見が言えないのは意見が言えない相手(大人や社会)だからです。
反対派の個人を徹底的に弾圧する指導者は、人民の敵ですね。
>子どもが意見を言えるようになるには、まず「子どもたちと一緒に活力を持って追求していくんだ」という姿勢を身につける必要があると思います。
そうですね。人はお互いに助け合って生きるものですね。
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