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2019年09月18日(水) 

 

(略)

>●現実に起きたことに自分が対処するしかない

 

そうですね。

 

(略)

>「あいつがやったことが悪い」という思考から、「現実を変えていくにはどうすればいいか」という部分に意識を、集中力を向けていける。>あなたの現実に起こることについては、あなたの責任で対応していこう。

 

そうですね。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。 Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には、意思がない。意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。意思の無い人には、責任がない。ちょうど、死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪には問われない。彼らには、殺意というものがないからである。だから、日本人は、自己の責任で対応することができない。’とかく、この世は無責任’ となる。

 ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。  ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) 

 

>なぜ他人のせいにしてはいけないのか。>他人のせいにすると「失敗した自分にはなんの問題がない」ことになる。>そうすると失敗から何も学ぶことはできない。

 

日本人には、意思がない。だから、加害者意識がない。罪の意識がない。深刻な反省がない。失敗から何も学ばない。’過ちは、繰り返しませぬから’ というばかりでは、真の反省には至らない。

 

>どんな挑戦もどんな失敗も、必ず実り深い学びをもたらしてくれるものだが、「失敗が起きた責任は自分にある」という自省が、失敗から学びを取り出すには必要だ。

 

そうですね。失敗から学びを取り出すことが必要ですね。

 肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

 

> 気づかないうちに多くの人が、この感情移入による「悪者捜しの罠」にはまって、自分の意識を過去や他人といった、変えられないことに縛られている。

 

そうですね。それは、非常に残念なことですね。日本人には、自己がない。だから、他者を探すことになりますね。意思の無いところには、方法 (仕方) がない。仕方がないから、無為無策でいる。

 

>未来や自分といった、変えられることに焦点を合わせるためにも、こういった構造のことを頭に止めておこう。

 

そうですね。日本人には自己がない。常に、事の次第・自然の成り行きを述べている。日本語は、意思の表現ができない構造になっていることを頭に止めておきましょう。

 

>あなた自身の成長や、チーム内でのコミュニケーションに、きっと役に立つはずだ。(引用終わり) 

 

そうですね。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを十分深く理解する必要がありますね。さすれば、自己の世界観と意思の内容を文章にして表現することが可能になり、外国人からも信用されるようになります。未来社会の建設に協力者を得て、人類の進歩に貢献できます。英米人は日本語を話すときでも、日本人特有の閉塞感に囚われることはありません。彼らには、考え方が色々あるからです。我々も彼らのやり方を取り入れて、いろいろな考え方を提示しましょう。

 

 

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閲覧数13 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/09/18 20:45
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