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2019年10月05日(土) 

 

 

>■教育虐待の背景にある学歴主義と正解主義

> 「教育虐待」の定義は、一般的には「子どもの受容限度を超えて勉強をさせること」となります。>近年、メディア等で教育虐待という言葉を見聞きすることも増えてきましたし、たしかに児童虐待全体の通報件数でいえばかつてとは比較にならないほど増えていますが、それをもって教育虐待が増えているとはいい切れません。

 

教育虐待・児童虐待は、校内暴力・家庭内暴力にもつながりますね。

 

>ただ、わたしの感覚としては、「裾野が広がってきている」と感じています。>かつてのようなごく一部のものすごく教育熱心ないわゆる教育ママだけではなく、程度のちがいこそあっても以前より多くの親が教育虐待をしている、あるいはそれに近いことをしているのが現状ではないでしょうか。

 

そうでしょうね。多くの親には反省が必要ですね。

 

>そのことには、いまの親世代が受けてきた日本の教育の影響が大きいように思います。>明治以降にはじまった日本の近代教育は、全国津々浦々どこにいても平等に教育を受けられて、努力をした人が評価され出世していくという「公平さ」に重きを置いたものです。

 

そうですね。身分制度の打破ですね。身分の低い野良犬のクロでも、軍隊で出世できるようになりました。漫画の ‘ノラクロ’ には、人気がありました。

 

>だからこそ、テストの内容も公平でなければならない。

 

そうですね。同次元の下での序列争いですね。異次元の競争は、無視されてきました。

 

>そして、公平なテストにするために、試験に出る内容とその答えがあらかじめ授業で与えられ、それをいかに吸収してテストで再現できるかという能力を競うようになりました。

 

暗記の種本は、全員に共有されなくてはなりませんね。

 

>そうして、日本の教育や社会において学歴主義、そして正解主義というものが幅を利かすようになっていったのです。

 

学歴主義は序列制度です。新しい形の身分制度ですね。それは、生まれの違いによらず、成績の違いに基づいている。

正解主義は現実主義です。現実の内容は、唯一つある、それは、見ることができる。見ればわかる。だから、誰にでもできる。考える必要がない。楽ちんである。

もしも、現実の内容が人より違っているならば、それは事実関係調べをして、一つにしなくてはならない。

非現実 (考え ) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。話の内容を知るには、その文章内容を理解しなければならない。これは、骨の折れる仕事である。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

矛盾を含んでいない文章は、全て正しい考えを示している。考えの内容は、人それぞれに違っている。だから、正解は、一つではない。幾らでもある。その内容は、個性的である。

矛盾を含んでいる文章も、その矛盾を除去すれば、正しい考えになる。矛盾の除去には対話・議論が役に立つ。だから、言論を盛んにしなくてはならない。

 

>そうすると、まずは学歴主義の影響として、偏差値が少しでも高い学校に子どもを行かせたいと親は思うようになる。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というもがある。だから、’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な上下判断ができないと、日本語の日常会話にも支障をきたします。その上、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、世俗の上下判断が正しくない人は、礼儀正しい日本人にもなれません。人を見損なってはいけないという想いが高じて、強迫観念の域にまで達しています。ですから、肩の凝る社会になっています。人々は、’頑張って’ 、‘お疲れ様’ などと常に声を掛け合っています。だから、日本人は、序列の存在を知れば、それが価値あるものだと盲信します。

 

>それから、親自身も正解主義のなかで育ちましたから、子どもにどんな教育をすれば偏差値が高い学校に進学させられるのかと考え、教育に正解を求めるようになった。

 

現実の内容には、正解は一つしかない。考え (非現実) の内容には、正解はいくらでもある。

 

>家庭教育にも正解主義をあてはめはじめたわけです。

 

現実しか知らない人には、考え (非現実) がない。現実しか知らない人は、軽薄な人である。考え (非現実) のある人は、思慮深い人である。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

 

>ただ、「この教育が正しいんじゃないか、あれが正しいんじゃないか」と親が迷っているうちは教育虐待につながることはそうないと思います。>でも、そんなふうに迷っていた親が、あるひとつの家庭教育の手法に対して「これが絶対に正しいんだ!」と思い込み、迷いなく子どもに押しつけはじめると非常に危険です。>その思い込みによって子どもの顔が見えなくなり、気づいたときには子どもが壊れている……ということになりかねません。

 

そうですね。日本人には、目覚めの時が必要ですね。

 

 

 

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閲覧数10 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/10/05 03:50
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