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2025年10月23日(木) 

 

>産経新聞   >小泉防衛相、靖国神社は「不戦誓う場」 A級戦犯合祀、東京裁判… 就任会見で6回問われる   >8時間・   

>小泉進次郎防衛相は22日の就任会見で、靖国神社参拝について「国のために命を落とした方々に対し、尊崇の念、感謝の思いを持ち、不戦を誓うことは、どの国にとっても当然ではないか」と語った。    

 

我が国の政治家が戦死者の追悼を宗教家に丸投げする態度は不適切ですね。   

 

>任期中の参拝は「適切に判断したい」と述べるにとどめた。   

>一方、共同通信の記者は「A級戦犯合祀」「歴代天皇は参拝していない」などと小泉氏の政治的思想をチェックするかのように質問を重ねていた。    

 

政治と宗教は分離されるべきですね。   

 

>終戦の日は必ず    

>小泉氏は平成21年の初当選以来、農林水産相など閣僚の任期中も含め、終戦の日に靖国参拝している。   

 

それは日本人の供養の仕来りでしょうね。   

 

>事前に記者団から「靖国参拝するのかしないのか」などと問われても「適切に判断したい」と語っている。   

>この日、共同の記者は靖国参拝に関連し6回に分けて、小泉氏に考え方を尋ねていた。   

 

靖国参拝は日本人の好きな質問ですね。共同通信社自身の意見はどうなんでしょうね。   

 

>小泉氏は「A級戦犯合祀」について問われ、「靖国神社のあり方はさまざまな議論の積み重ねがある。   

>そういうことも踏まえて最終的に参拝するかしないか判断したい」と繰り返した。   

 

彼は日和見主義なのですかね。   

 

>安倍談話「述べられている通り」    

>これに対し、記者が「A級戦犯の合祀に問題ないから参拝していたのか」と尋ねる場面もあったが、小泉氏は「国のために命を賭した方々に対する思いを忘れない」と述べるにとどめた。   

 

宗教家の判断によりかかる政治家の姿勢は良くないですね。無哲学・能天気なしるしなのでしょうね。   

国家のことは政治家自身の判断で、宗教家とは独立した立場で、盛大に戦死者の追悼式を行うべきですね。戦死者の追悼はこの国が消滅するまで続けられるべきですね。      

戦死者の為の国立墓地で自衛隊の隊員が衛兵交代式をすれば外国人観光客にも人気が出るでしょう。    

 

>東京裁判(極東国際軍事裁判)について「認めているのかいないのか」と問われると、安倍晋三首相(当時)の戦後70年談話を挙げ、「述べられている通り」と返した。    

 

‘日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。’   (戦後70年の安倍晋三首相の談話)

 

‘、、、本田様は、砂漠にただ一人、自生されたわけではありますまい。二十世紀の日本という社会に生まれ、何の権利もないのに、その社会の恵沢と栄誉を、当然のこととし負うておられます。従って本田様が「幼児であったから」「責任がない」と「いわれるなら、日本の伝統文化、それにつづく現代社会の恵沢と栄誉を受ける権利も放棄されたことになります。 、、、’ (イザヤ・ベンダサン: 日本教について)   

 

>70年談話は先の大戦について「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。   

 

日本人には意思がない。意思のない人には加害者意識 (罪の意識) がない。だから十分な謝罪ができない。それで周辺国にわだかまりがある。      

 

>歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです」と振り返り、「私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます」と不戦の誓いを新たにしている。   

 

そうですね。   

'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)  

 

>(奥原慎平)   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

頭を使うということは暗記力を示すことではなく自己の見解を明らかにすることである。高等教育機関に在籍して自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数7 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/10/23 20:33
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