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2020年01月02日(木) 

 

日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。

意思が想定外になっていると困ることは二つある。

一つは、相手の出方が予測できないことである。もう一つは、自分の行為を正当化できないことである。

1.

わが国では、意思の内容は想定外になっている。自己の意思を主張する者がいないし、相手の意思を求める者もなない。意思の価値はゼロと査定されている。だから、浪花節がなりたつ。

子供には意思がない。未来時制の文章内容を働かせて意思を脳裏に作るには、子供は未熟すぎる。これは、アニマルも日本人の大人とても同じことである。だが、意思の内容を想定外に置くと、’オオカミと7匹の子ヤギたち’ の話に出て来る子ヤギたちのような不幸な目に合うことを知らなければならない。オオカミが悪いのは、声がガラガラ声である為でも、足の色が黒いためでもない。子ヤギたちを丸のみにする意思の内容がヤギたちに不都合なためである。しかし、意思の内容は非現実であるから見ることができないない。現実の内容に囚われてそうこうするうちに非現実の内容 (意思) が現実の内容に変化して子ヤギたちは憂き目にあうのである。だから、日ごろから非現実の内容をも想定内において用心するに越したことはない。こうした禍は、単なる出来心 (freak) により引き起こされるものではない。最初から用意周到に計画された内容の下に日頃の努力が積み重ねられてできた結果もたらされたものである。 

2.

日本人には、意思がないが恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思は未来時制の文章内容になるが、恣意はバラバラな単語 (片言・小言・独り言) のままで存在する。意思は文章になるので意味があるが、恣意は文章にならないので意味がない。

意思の無い日本人には意思疎通が無くて、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。日本人には、意思の内容を議論する有意義な会議 (討論) が無くて、談合 (腹の探り合い) という別の道がある。腹の探り合いというのは、恣意の探り合いということである。ここでは恣意が生きている。アメリカ人の場合は、恣意を相手に表せば その人は‘恥を知れ’ (Shame on you!) と一喝されてそれで終わりである。この種の恥は ‘恥の文化’ の日本人には通じない。英米人はすぐに恣意撲滅作戦に出る。が、日本人の場合は、’恥ずかしながら、、、、、’ と話しが続く。

日本人には、意思決定 (理性判断) がなくて、恣意決定 (盲目の判断) がある。恣意には意味がないので、恣意に基づく行為には説明責任が取れない。かくして、とかくこの世は無責任となる。恣意の無軌道により国がひっくり返ることもある。 

 

実際上意思の無い日本人は恣意を使って現実の事態に対処しなくてはならない。そこでそれなりの恣意の利用法を考えている。その答えが精神修養である。無為無策の日本人に武芸の稽古を通して機敏な動作の可能な人間に育成する。しかし、この方法によっても理性判断を得る道は開けてこない。これが我が国民のアキレス腱となっている。

'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇) 

精神主義は恣意を鼓舞して、’意地・根性・大和魂’ 等に鍛え上げる方針である。恣意の利用であるから文章内容にはならず意味がない。だから空しい。科学は科学哲学である。その内容は論文になるから意味がある。知的な力を宿している。だから、’精神’ 対 ‘科学’ の勝負では科学に軍配が上がる。知的なものに関心がない人間は知的な相手の実力を理解する能力に欠けているから結局侮ることになる。そして、前回痛い目に合わせられた。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。日本人には、’上と見るか・下と見るか’ の世俗的判断は欠かせない。世俗的な上下判断 (序列判断) が疎かであると、日本語の日常会話にも事欠く事になります。

その上、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、世俗の上下判断に疎い者は、礼儀正しい日本人にもなれません。序列なきところに礼儀なしである。人を見損なってはいけないという想いが高じて強迫観念の域にまで達しています。

それで、人々は堅ぐるしい日常生活を送っています。ですから、’頑張って’ と声を掛け合ったり ‘お疲れ様’ と慰め合ったりしている。

日本人は序列人間であるから、序列の絆を極上の人間関係と信じている。上下の関係把握できれば口のきき方も最上に滑らかになる。今でも序列の絆は他の絆に比べて日本人社会にめっぽう強い。それだけ、日本人の力は外では弱くなっている。序列作りは閥作りである。無意志の人間が群れ単位でボスにより取引される。うちの者は、皆下駄を親分に預けている。頭を使わないから各人は楽ちんである。無哲学・能天気の人達は、皇国の体制を極上の体制と盲信していたとしても無理はない。

日本人は、自己の派閥内において内弁慶になっていて外にはでられない。無哲学・能天気であっては、派閥外に向けて自己の ‘あるべき姿’ の力説ができない。発想がグローバル (世界的) にもならなければ、ユニバーサル (普遍的) にもならない。いまさら教え込まれた修身の徳目を並べても新鮮味がない。

 

 

 


閲覧数108 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/01/02 04:03
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