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2020年02月08日(土) 

 

 

>283500 各地に伝わる「もぐらの嫁探し」からわかること  >佐保井路子 ( 24 OL )  13/11/18 AM08 【印刷用へ】 

>むかしばなしに、「もぐらの嫁探し」というものがあります。 >もぐらが結婚相手を求めて、世界で一番偉いものを求めて、天や雲や風や石などを訪ねるが、最終的には穴を掘って石をもぐらつかせてしまう“もぐら”が一番強いというところに行き着き、もぐら同士で結婚するという話です。> (赤松啓介著「非常民の民俗文化」より) >リンクより引用

> 「人の上に人を作らず」というのは上向きの人間がいうことで、しもじもの者は「人の下に人を作る」ために一生懸命に努力しているという構造はなんと無残なことではないか。と赤松は、人間が社会や共同体を作り始めた太古より差別は存在したと考察している。

 

比較にもいろいろありますからね。

日本人の比較は、’現実の内容’ 対 ‘現実の内容’ ですね。日本人には非現実の内容がないからそのようになります。

西洋人には非現実 (考え) の内容がありますから、’現実’ 対 ‘非現実’ の比較もあります。

‘人間は万事不平等である’ が現実の内容であれば、’人はみな平等に造られている’ (All men are created equal.) は非現実 (考え) の内容です。

現実の内容を非現実の内容と比較して現実批判する人は、考えの深い人です。尊敬されます。

 

> (中略)

> 人口の増加と過密が人間の孤立を深めるのはこんな所に原因があるのかもしれません。

 

日本人には ‘あるべき姿’ (things as they should be) の内容がない。現実と非現実の比較による批判ができない。つまり、批判精神 (critical thinking) がない。だから、現実の内容をただ垂れ流しにしている。人間の行為にけじめがない。

 

>もし有効な手段があるとすれば、「なくそう」とか「やめよう」とかするより我々の歴史に沢山教材はあるのですからここから学ぶしかないような気がします。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な序列判断ができないと、日本語の日常会話も思うようにはできません。

その上、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、世俗の上下に通じていない者は ‘礼儀正しい日本人’ にもなることができません。序列なきところに礼儀なしの感があります。

ひとを見損なってはいけないという想いが強迫観念が日本人には強迫観念の域に達していて序列順位のことが頭から離れません。ですから、日常生活も気疲れのするものとなっています。

 

>そして1人でも多くの人が自らの差別性や闘争性を認めつつ制御する方法を手に入れるしかないでしょう。

 

序列作法を正しいものとするには、間違いのない序列結果を公に示すことが必要である。入試地獄も勝負の必要性から行われている。世俗の序列を排除する意識が必要ですね。

 

> 法や制度による規制には限界があります。> 自分自身の障害者福祉という仕事がそうでした。

 

そうですね。役人の仕事には限界がありますね。NPO (Nonprofit Organization: 非営利での社会貢献活動や慈善活動を行う市民団体) のようなきめの細かな対応が必要ですね。

 

> 差別される人ほど差別的な傾向があります。>そういう状況を目の当たりにして出来ることと言えば自らの差別性に目を向け自らを作り変えるしかなかったです。

 

差別は世界中に広がっているでしょうが、残念なことに日本人には批判精神がない。序列人間の行う不当差別に批判ができない。だから、現実の内容のみを垂れ流している。

 

>それでも人間は比較の動物です。 > 比較をやめることは出来ないのです。

 

そうですね。’人の振り見て我がふり直せ’ ですね。

 

>ここから差別や戦争が起きるようなのです。 >そんな人間の抱える深い悲しみの歴史を「差別の民俗学」はわかりやすく教えてくれます。

 

‘上と見るか・下と見るか’ の判断に囚われて、差別的な行動をする人間を阻止しましょう。 その啓蒙運動が必要ですね。 

 

> 今後、こういった研究が進み、子供たちにも大人たちにも様々な意味で良質な教育が出来るような環境が整備されることを望みます。

 

何事も考えは比較の問題ですね。しかし、比較の仕方にもいろいろありますね。

現実対現実の比較。オリンピック競技のようなもの。受験戦争のようなもの。正解は一つである。競争の優劣を人間差別につなげることはやめましょう。

現実対非現実の比較。批判精神による現実批判のようなもの。非現実の内容を現実の内容に変換することにより人類の進歩が得られる可能性がでてきます。

非現実対非現実の比較。宗教的な対立のようなもの。矛盾を含まない全ての文章は正しい考えを示している。考え (非現実) は、人様々である。正解は一つとは限らない。幾らでもある。相手を罵倒することは慎まなくてはなりません。

 

> (引用おわり) 

 

 

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閲覧数450 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/02/08 22:43
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