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2020年05月31日(日) 

 

 

>より深いコミュニケーションによって、相手との対話から深い気づきや創造的な発見・生成を起こすには、「要するに◯◯だ」とパターン認識し、自分の知っている過去のデータと照合することは戒めないといけないのです。 >  容易に「わかる」ことは、過去の知覚の枠組みを累積的に補強するだけの効果しかありません。 >本当に自分が変わり、成長するためには、安易に「わかった」と思わず、相手の言っていることを傾聴し、共感することが必要になります。

 

そうですね。だが、それは難しいですね。’心ここにあらざれば視れども見えず’ ですからね。

 

>③につづく 

>349646 【山口周】「容易にわかる」ことは本当は最も危険なことだ③  >紀伊谷高那 ( 34 大阪 会社員 )  19/09/24 PM08 【印刷用へ】 

>【山口周】「容易にわかる」ことは本当は最も危険なことだ③  >(リンク)より転載

> ****************************

>■「わからなさ」の重要性 他者は気づきの契機である

> 自分を変えるきっかけになるのは「わからない」という状況です。

 

そうですね。考えの内容は人様々ですからね。

 

>この「わからなさ」の重要性を「他者」という概念を軸足にして、生涯にわたって考察し続けたのが、20世紀に活躍した哲学者のエマニュエル・レヴィナスでした。 >  レヴィナスのいう「他者」とは、文字通りの「自分以外の人」という意味ではなく「わからない者、理解できない者」という意味です。 >なぜ、そのような「他者」が重要なのでしょうか。 >レヴィナスの答えは非常にシンプルです。 >それは、「他者とは『気づき』の契機である」というものです。 

 

だから、他者との対話・議論は大切なのでしょう。

 

>  自分の視点から世界を理解しても、それは「他者」による世界の理解とは異なっている。 >このとき、他者の見方を「お前は間違っている」と否定することもできます。

 

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含んでいない文章は、すべて正しい考えを表している。だから、正しい考えは一つではない。考えは、人様々である。だから、正解は一つではなく幾らでもある。

 

>実際に人類の悲劇の多くは、そのような「自分は正しく、自分の言説を理解しない他者は間違っている」という断定のゆえに引き起こされています。

 

そうですね。悲劇の多くはこのような独裁者の独断専行によるものですね。

 

>  このとき、自分と世界の見方を異にする「他者」を、学びや気づきの契機にすることで、私たちは今までの自分とは異なる世界の見方を獲得できる可能性があります。

 

そうですね。貴重な勉強の契機になりますね。

 

>  インターネットが登場したことで「世界が小さくなった」と、よく言われますね。>確かに、それまで往復に数ヵ月かかることもあった外国との郵便文書が、送信ボタンをクリックすれば一瞬で届く電子メールに取って代わられたことを考えれば、確かに物理世界についてはそのように表現できるかもしれません。

 

そうですね。我々はインターネットの出現により重宝しています。

 

>  しかし、私たちの心象風景に映写される精神世界は、本当に縮まっているのでしょうか?  

 

通信機器の伝送能力と人間の読解力では次元が違いますね。関係ないでしょうね。

 

>  自分と似たような教育を受け、自分と似たような政治的態度をもち、自分と似たような経済的水準にある人たちばかりとつるみ、お互いの意見や行動に対して「いいね!」を乱発し続けるようなオールドタイプの行動様式は、私たちの精神世界を「わかりあえる者たち」だけの閉じたものにし、その外側にいる「わかりあえない者たち」を断絶する、あるいはそもそも「存在しないこと」にしてしまう可能性があります。

 

そうですね。異教徒を皆殺しにする思い付きのようなものですね。

日本人には意思がない。だが恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思は未来時制の文章内容であるが、恣意はバラバラの単語 (片言・小言・独り言) のままで存在する。文章内容になった意思には意味があるが、文章にならない恣意には意味がない。日本人には、意思疎通 (相互理解) は無くて、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) は豊富にある。議論・対話は意味をなさないが、談合 (腹の探り合い) はある。意思決定 (理性判断) はできないが、恣意決定 (盲目の判断) はやっている。リーズン (理性・理由・適当) が無いので失敗の説明責任はとれないが、感傷の表現は持っているので事後に歌を詠む。これにより ‘事足れり’ とする。だから、けじめのない社会となっている。事後の反省が無いので、原因除去に追悼は役立たない。それで、歴史は繰り返す。この道は、いつか来た道。ああそうだよ。

意思は未来時制の文章内容である。しかしながら、我が日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思 (will) がない。

 

 

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閲覧数14 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/05/31 02:12
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