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2020年08月08日(土) 

 

相手を説得するには自説を論じなくてはならない。その時には比較を使う。要は比較の問題になる。

欧米人の頭には非現実 (考え) がある。だから、現実 (今ある姿: things as they are) と非現実 (あるべき姿: things as they should be) の内容を比較することができる。非現実の内容は頭の中にあるので絶対化が可能である。彼らの神様も絶対神となっている。  

無哲学・能天気の日本人は非現実がない。だから日本人が論ずるときには現実と現実の間の比較をする。オリンピック競技のようなものか。ところが現実の内容は千変万化する。だから、日本人の基準もその都度変化して、比較の結論も変化せざるを得ない。だから、結局のところ日本人は何を話しているかわからず聴衆の信頼がえられない。非現実を持たない人間には自己がない。個人がないので個人主義が理解できない。個人主義 (individualism) と利己主義 (egotism) の区別も難しい。

山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、日本人の絶対化について述べています。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と述べています。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)  

というわけで、我々も外国人から信頼されるためには非現実 (考え) の内容を持つことが必要な条件となる。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.  さすれば、国際社会において我々は責任ある地位に就くこともできる。

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、無哲学・能天気の状態を脱しなければならない。全ての考えは文章になる。英文法には、非現実の内容を文章にするための時制 (tense) というものがある。だから、非現実の内容を文章にして頭の中にため込むことができる。これが知力の強みを発揮する。現実と非現実 (あるべき姿) の比較を可能にしている。かくして彼らは現実に対する批判精神 (critical thinking) を持つ。だから、彼らのジャーナリズムは、現実の内容をただ垂れ流しにはしない。有力紙が存在する。我々も彼らの方法を取り入れよう。そして知的な人間になろう。   

 

 

 

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閲覧数40 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/08/08 08:57
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