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2020年08月06日(木) 

 

 

[思考停止]  自分には考えがないから他人から借りる。詰め込み教育がこれを助けている。全員が思考を停止しているから、全員が受け売りの専門家となる。

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)   

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’( グレゴリー・クラーク)  

 

[哲学]  私は日本人のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何回も尋ねられた。だが、このような質問を外国人から受けたことはない。その代わり、‘私はインド哲学に興味がある’ と何人かのアメリカ人らか話しかけられたことがある。日本人は仏教徒であると言われているが、インド哲学に興味があるという話は聞いたことがない。 哲学とは ‘考え’ の事である。宗教に関する考えは、宗教哲学と呼ばれる。歴史・政治に関する考えは歴史哲学・政治哲学である。科学は科学哲学、人生は人生哲学になる。などなど。各人に哲学は必要である。だから英米人は思春期になると高等教育を受ける。そして、大学で自分自身の哲学をまとめて子供の精神状態を抜け出すことになる。

日本人は無哲学・能天気のままであるから、大学に在学しても4年間遊んで暮らすことになる。政治家にも政治哲学がない。’我らは何処に向かうのか’ の疑問に答える人がいない。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)

 

[尊敬]  日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。階称を使いこなすには世俗の上下判断が必要である。この判断が疎かな人は、日本語の日常会話にも差支えが出る。上下判断を誤ると上様の祟り (仕返し) が恐ろしい。だから、人を見損なってはならないのである。

世俗的な ‘上と見るか・下と見るか’ の判断には、勝負の成績が用いられるが多い。偏差値なども全国的な都合の良い資料されている。この励みにより序列社会は成り立っている。

日本人の礼儀作法は、序列感に基づいている。だから、序列なきところには日本人の礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。日本人の尊敬は形式的な上下作法であって、序列社会の単なる序列順位の表れに過ぎない。個人的精神的な意味がないから、日本人の尊敬にも浅薄さが付きまとう。

日本人は奥ゆかしい(深い考えがあるようにみえる)。実は、奥 (考え) がない。だから、浅薄な人である。

日本人には、儀式 (作法) があって、教義 (考え) がない。子供の時には宮参り。結婚式はキリスト教。葬式は仏式でやる。全ての行為は、気分・雰囲気で決められる。趣味には論拠がない。There is no accounting for tastes. 

 

[仕事のやりがい]  昔かたぎの日本人は義理を果たしてこの国を盛り上げた。義理とは序列関係により生ずる義務のことである。義理を果たすことは、序列人間にとっては ‘やりがい’ のある事である。その励みにより自己の序列順位の改善がみられるからである。今日のように派遣社員となって数多くの職場を渡り歩くようであっては、日本人の士気は上がらない。2017年に米ギャラップが実施した従業員のエンゲージメント(仕事への熱意度)調査によると、日本では「熱意ある社員」はたった6%のみだったそうです。これは世界139カ国中、実に132位という散々な数字であります。

序列人間は、序列社会の中で力を発揮する必要があります。筋金入りの皇軍兵士にも変身します。序列制度の無い外国に移民すると心身ともに疲れ果てて挫折する者が多い。だから、外国は恐ろしい。これは日本語思考の弱点によるものである。我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、思考の幅を広げよう。そして、思考停止やら閉塞感に襲われることがないように日夜努力を重ねよう。

‘為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり’ (上杉鷹山) 

 

 

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閲覧数325 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/08/06 14:08
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