日中関係 2/2 |
>それは米国なども嘗てのWW2で蒋介石の女房にたらし込まれたことが対日参戦の理由になっている。
蒋介石夫人の宋美齢はアメリカで教育を受けていて、アメリカ人を説得する方法を心得ていたのでしょう。我々日本人も彼女の真似をしたらよいでしょう。
>その後も米国の議員は金で買われる例が相次ぎ、近年は孔子学園と称して支那政府が米国人を洗脳する事態に至り、さすがに米国もそのようなことに対する危機感を募らせたのが今の米中摩擦の原因とされている。
海外での孔子学園の建設は中国政府の国策事業なのでしょうね。
>しかし、直ちに支那との縁が切れないのは確かに経済的な結びつきがそれだけあるからだろう。
お互いに持ちつ持たれつの間柄になっているのでしょうね。しかし、真の友人同士であれば、お互いの自己の ‘あるべき姿’ を打ち明けて理解しあっても良いでしょう。でも、特亜三国の人には哲学がない。
>それでも多くの支那人を受け入れてきた結果、膨大な技術などを盗まれているのも事実なのだ。 >今になってやっと気がつく米国の馬鹿さ加減もあきれるが、そうとばかりもいっていられない。>日本も似たようなものなのだから。
アメリカは、中国が共産主義から資本主義に変わるのを期待していたのでしょうね。
>民間人同士が理解し合えば国同士も理解し合える、共存共栄が出来ると信じるのは結局お花畑なのだ。
中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。 中華 (ちゅうか) [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる] 東夷 (とうい) [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した] 南蛮 (なんばん) [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう) [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。 北てき (ほくてき) [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。 漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、中国人は外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。そして、独断専行に陥りやすい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。
>個人が個人として中国人や韓国人と親しくするのは個人の問題だろうが、それが知らない内に国を売るようなことになりかねないということも理解しておかなくてはならない。
中国人は政府の操るロボットですからね。中国人個人の考えを中央政府に知らせる道筋は完全に閉ざされています。改革を志す人たちには、一生を牢獄で暮らす道しか残されていない。
>むろん全ての中国人がそうだというのではないのだろうと思う。が日本がどれだけの情報を支那に盗まれているか、そのきっかけは何か理由は何かをお花畑は少しでも理解して貰いたい。
特亜三国の民は、模倣力に優れていて創造力に乏しいですね。
>上記の日中の民間同士のつながりが国同士の云々を続けている日中友好協会などそのような目で見る必要があるだろう。
彼らは ‘教えてくれ、教えてくれ’ と言いますからね。真似は中国人の特技ですね。
>結局、民間同士の真の友好は政府同士の、国家同士の友好に基づいて成立するのであり、その逆はないとすべきではないのか。
そうですね。日本人にも、中国人にも、個人主義は理解されませんし、公認されてもいませんね。 立憲主義、人権、民主主義といった諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならないですね。
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