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2021年04月20日(火) 

 

 

>試験・身分制度の根深い害

>366266        “東大までの人”を量産~母親主導の受験の弊害~(1) >ぴぴ       21/04/18 PM09 【印刷用へ】

>長年代々木ゼミナールで生徒を指導し、現在はN予備校の講師を務める高橋廣敏氏のインタビュー記事から。>母親に管理されて勉強だけしてきた子どもたちは、受験競争に勝ち抜き東大に入ったとしても、そこ止まり。 >社会で通用する課題解決能力を身につけることはできず、むしろ思考停止の人間を生んでいるのではないか、と確信を突いた論旨。>母子一体型の受験取組みにより、マザコン率は偏差値の高さと比例する、とも。

>以下、「ハーバービジネスオンライン」 リンク より。

>* * * * * * * * * *

>“東大までの人”を量産……人気予備校講師が語る「母親主導の受験の弊害」

>(前略)

> また、少子化で1人に掛けられる教育費が多くなったこと、そして長引く不況で少しでも就職に有利になるようにと子どもに高い学歴を望むことから、受験の低年齢化が進み早期の英語教育なども盛んに行われています。 > 一方で、子どもの学力、特に国語力は低下しています。

 

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」  

 

>OECDが実施している15歳の子どもたちを対象にした学力到達度調査のPISA(Programme for International Student Assessment)の2018年の日本の実績は、数学的リテラシー6位、科学的リテラシー5位、読解力は15位。> いわゆる難関大学の教員からも「今の学生は総じて幼く思考力が低い」という苦情を聞きます。

 

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)    

 

>教育費は上昇する一方で、精神年齢や思考力は低くなっているという声もある今の子どもたち。 >一体彼ら彼女らに何が起きているのでしょうか? > 今回は前回に引き続き、代々木ゼミナールで長年東大特進クラスなどで現代文小論文を担当し、『初心者からプロまで一生使える 伝わる文章の基本』 (総合法令出版)、『書き方のコツがよくわかる 人文・教育系小論文 頻出テーマ20』 (KADOKAWA)など数多くの小論文の本を執筆し、現在はN予備校で教鞭を取る予備校講師の高橋廣敏さんに前回のお話をふまえて、学力向上のために本当に必要なことは何かについてお話を聞きました。  

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。    

 

 

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閲覧数349 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/04/20 09:49
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