>■ 協調性と独創性のアンバランス > 少し思い当たる節がある。 >大企業の経営陣が、昨今こぞって「事業構想力の高い人財が不足している」と言い始めた。 >「環境変化に合わせて変革を成し遂げられる人財が欲しい」という。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。 私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
> その質問は、私の胸をザワつかせる。> そもそも、あなたたちは、過去、社員にユニークな発想を求めてきましたっけ? >むしろ出る杭は打たれるで、協調性の高い人財を優先的に採用してきましたよね?
出る杭は打たれる。 ‘口は禍のもと’ ですね。
> 入社後も、我慢強く課題と向き合い、改善できる人財こそ評価してきたはずだ。
手直し程度の仕事をしていればよいはずでしたね。
>何かを変えようとすれば角が立ち、協調性が乱れる。
そうですね。何事もお変わりのないことが何よりなことですね。
>日本の経営が自らも、社員にも、長らく許さなかった物事を変えようとする行動。>それをいまさら「人財がいない」と嘆かれても、腑に落ちるはずもない。
そうですね。わが国は、人手不足はあっても頭脳不足のない国でしたからね。天下の秀才が大勢いる教育立国ですね。
> かくいう私も、入社して長らく、最も保守的なサラリーマンだった。 >斬新なことを言って周りを驚かせることなどは皆無。 >常に、人目を意識して、嫌われないように気を揉み、賢く見えるように言葉を選んでいた。>協調性は磨かれるが、独創性は失われる。 >というより私自身は、何かユニークなものを生み出す意識などハナから持ち合わせていなかった。
特亜三国 (日本・中国・韓国) の民には、現実 (事実) があって非現実 (考え) がない。現実を内容とする文章はあるが、非現実を内容とする文章が存在しない。だから、技術 (実学) があって、哲学 (考え) がない。考えの内容は人様ざまであるので、個性的になる。だが、哲学のない特亜三国においては、英米流の高等教育が成り立たない。現実の内容を現実の中で再現すれば、それは模倣をしたことになる。非現実の内容を現実の中で実現すれば、それは創造になる。特亜三国の民は、模倣が得意で創造が苦手である。だが、模倣の競争には参入者が多く、創造には少ない。模倣の競争は没個性の競争であり過酷なものになりがちである。これはアニマル風の競争である。個性を伸ばす競争をしよう。創造力をつけよう。そして、ゆとりある人間らしい生活をしよう。
> そんな私が、なぜ40代半ばで外資に転職、50代になってから起業という、独創性なくして生き残れない人生を歩むようになったのか。 > それは、きっと質問の大切さを学んだからだ。
そうかもしれませんね。
>■ 恥を捨てた瞬間に急成長が始まった > それは20数年前、ニューヨークの米国金融機関に出向させられた直後に、郊外のセミナーハウスに一週間ぶち込まれたときのことだ。 >米国人30人に、日本人が私一人。
日本人が一人きりというのは良い環境ですね。
>朝から晩まで講義とディスカッションが続くのだが、英語のやりとりの3割も理解できなかった。>椅子に座っているだけで、胃が痛くなる。 >それなのに、講師はすぐ私に「わからないことがあったら何でも聞いてくれていいんだよ」と語りかけてくる。 > 「そんなことできるか!」> 日本人にとって質問とは、相手の伝えたい内容や真意をしっかり理解した上で、さらに聞きたいことを聞くのが礼儀なのだ。
あなたは礼儀正しい日本人でしたね。見栄と外聞、身分と格式の世界ですね。
.
|