>367479 「どうしたら頭が良くなるのか」――養老先生はこう答えた >真実一路 ( 30代 会社員 ) 21/05/31 PM00 >リンクより >1日10分自然のものを見よ >「どうすれば頭が良くなるのでしょうか」 > こんな素朴すぎる問いに、どう答えればいいのか。 >「とにかく勉強しろ」「遺伝だから諦めろ」等々、色々な回答が想定されるが、『バカの壁』でお馴染みの養老孟司先生は、講演先などでよくこう答えている。>「1日に10分でいいから、自然のものを見るといいですよ」
そうですね。日本人は自然を直視することに興味を持っていませんね。これは残念なことですね。
> なぜ自然のものを見るといいのか? 「緑が目に優しい」→「目が良くなる」→「本を読むようになる」→「頭が良くなる」といった「風が吹けば桶屋が儲かる」式の理屈なのか? > 新著『遺言。』では、その真意を次のように説明している。>ちょっと込み入った理屈だけれども、同書より抜粋・引用しながら解説してみよう。
お願いします。
> この本の中で、養老先生は「感覚所与」と「意識」に関する問題を論じている。 >「感覚所与」とは哲学用語で、ものすごく簡単にいえば、人の感覚器(目や耳や口など)に入ってくる第1次印象のことだ。 >代表的な例として目に入る光、耳に入る音のことだと思っておいてもいい。> 一方、「意識」はこういう感覚器から入って来た情報を、脳内で「意味」に変える。>たとえば「焦げ臭い」と鼻で感じた場合、「火事じゃないの」と判断するのが「意識」の役割である。
他の動物でもやっていますね。力の弱い動物は小心でなくてはならない。
> 往々にしてヒトの「意識」は、このような「意味」が感じられない情報を無視する癖を持つ。
小心者はストレスを多く感じますからね。ストレスの軽減は生き物の願いですね。飼い猫と野良猫の境遇の違いですね。
>それどころか、現代生活はなるべく感覚が働かないように努める傾向が強い。>養老先生は、ここに問題があると指摘する。
極楽な世界にはそれ相当な問題もありますね。
>「たとえば丸の内のオフィスにいたとする。 >風は吹かない。 >雨が降らない。 >エアコンがあるから、温度は一定。 >床は平坦で、堅さはどこも同じ。
オフィスは実験動物のための飼育箱のようなものですね。刺激がない。
> 代わりにオフィスではなく、山の中を歩いてごらんなさい。 >地面はデコボコ、木の根や草がある。 >雨が降ったらぬかるむ。 >風が吹き、いつの間にか日が傾き、明るさが変化する。 >小鳥がさえずり、小川が流れ、それが森に反響して、じつにさまざまな音がする」
自然の探求は興味津々ですね。野生動物の世界ですね。危険がいっぱいです。
>世界を意味で満たす意識 > 都市の生活は、このような感覚からの情報をできるだけ遮断するつくりになっている
そうですね。不安材料はストレスになりますからね。
>「感覚所与を意味のあるものに限定し、いわば最小限にして、世界を意味で満たす。
未知の世界をなくすることは我々が安心を無くすることですね。
>それがヒトの世界、文明世界、都市社会である。> すべてのものに意味がある。
文明開化ということになりますかね。
>都会人が暗黙にそう思うのは当然である。>なぜなら周囲に意味のあるものしか置かないからである。>しかもそれを日がな一日、見続けているのだから。>世界は意味で満たされてしまう」
意味は個人が勝手につけるものですね。思考停止をしている人は、他人の付けた意味を暗記して覚えること精力を注いでいますね。すると、良くしゃべる受け売り専門の人が増えて来ることになりますね。 イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。 評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)
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