ブレない人 3/3 |
>みんながそういうならやってみる、とか。みんなが反対するからやらない、とか。自分自身の意思が無い、もしくは信念が無いので軸が固まっていかないのです。いってみれば、隣の芝生が青く見えれば、隣の芝生に寄っていく、タイプです。 >たとえば、どこのライバルもブログをやっているからブログをやる、ニュースレターがいいと聞けば続きもしないニュースレターをする、SNSくらいやっておかないと!と周りにいわれ慌ててインスタ、facebookやツイッターを始めてみる。>なんてのも同じことです。>まわりの意見や動きが気になり、合わせるのです。
見たもの乞食ですね。’人の振り見て我がふり直せ’ ですね。
>そのようなタイプの人は、商売・ビジネスでは大成できません。
そうでしょうね。
>まわりの意見や行動に合わせるだけですから、思考力も発想力も養われないし、大事な決断も自身で出来ないのですから、当然のことです。>「家族、友人、親戚、知人、誰1人応援してくれる人はいないけどみんなが認めてくれるまでやり遂げます」というような人でないと商売・ビジネスの世界で生き残っていくことなど出来ません。>たとえば、社内の企画会議で自分の企画が多数決で却下になったとします。>ですが、この企画をさらにブラッシュアップして、違う形で提案してみる。
‘手を替え品を替え’ の努力ですね。
>「採用されるようにするにはどの部分をどうブラッシュアップする必要があるのか?」などと考え実際に何度もプレゼンする人が生き残れるのです。>まわりが反対するから自分も反対する。>まわりが賛成するから自分も賛成する。>まわりがやらないから自分もやらない。>まわりがやるから自分もやる。>自分はそういうタイプだと思っていれば要注意です。
そうですね。それは付和雷同型の人ですね。
>まわりに決して流されず自分軸を持って仕事をしていくにはどんな工夫や取り組みができるでしょうか?
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
>また、何を学ぶことが必要でしょうか?
哲学でしょうね。これは大人になる為の勉強ですね。
>■今日のまとめ >「周りに流されるようでは成功どころか失敗すらできない」>まわりの意見や動きに敏感になりすぎていないか?
思考停止をしている人は不安ですから、まわりの意見や動きに敏感にならざるを得ませんね。思考停止の社会には受け売りの専門家が跋扈していますね。 我が国には人手不足はあっても、頭脳不足の話はありませんね。きっと精神労働としてなすべき仕事を肉体労働に替えて労働不足を補っているのでしょう。そして、その無理が祟ってわが国の進歩が鈍るのでしょうね。 イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。 評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)
>いつも自分の意思を持って判断し行動できているか?確認する
それは日本人には難しいですね。日本人には意思がないからです。
>自分の意志を持って行動していくために必要なことを列挙する
日本人には何よりも英語の勉強が必要ですね。できれば英米流の高等教育を受けると人生の役に立ちますね。我々日本人は優柔不断・意志薄弱ではいられません。
>上記2点を踏まえ、実践する
それができると良いですね。
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