学歴エリート 1/2 |
>2021-07-05 >【エリート=詐欺師】学歴エリートの自家中毒 >『るいネット』「学歴エリートの自家中毒」から転載。
我が国のエリートが詐欺師と呼ばれるのは残念なことですね。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官) 変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。 言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の手段でもありますから、思考の歪みに気づいたら日本語の構造を調べてみる必要がありますね。そうすれば、原因療法が見つかるかもしれませんね。
>マスコミ、政治家、官僚など、現在(団塊世代以降)の特権階級は、大半が貧困=本当の私権圧力を知らず、従って本当の目的意識を持ち合わせていない。
そうですね。昔から日本人は無哲学・能天気ですからね。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
>彼らは、単なる試験制度発の「合格」という無機的な目的意識(もちろん、それは肉体的欠乏に根ざした本気の目的ではない)を植え付けられて、ひたすら試験勉強に励み、「特権」を手に入れた連中である。
そうですね。彼らは序列社会の勝者ですね。彼らの特権は意思を行使するための手段であって、恣意 (私意・我儘・身勝手) を行使するための手段ではないはずである。 日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。 日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。 日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。
>又、彼らの大半は、試験制度という与えられた枠組みの中でひたすら「合格」を目指してきただけで、その前提を成す枠組みそのものを疑うという発想が極めて貧弱である。
そうですね。彼らは日本語の枠組みを疑うことはできませんね。彼らは序列社会に取り入れられた試験制度をただ利用しただけですね。
>従って、彼らは社会に出てからも、ひたすら既存の制度の枠組みの中で走り続けることになるが、もはやそこでは、既存制度によって与えれた特権の維持と行使という目的以外の目的意識など生まれようがない。
そうですね。処世術 (損得勘定) が彼らの出発点ですから、次の世界への展望はありませんね。
>かくして、団塊世代がトップor幹部に就いた’00年以降、彼ら特権階級は、ひたすら与えられた特権を行使し、次第に「社会を動かし」「世論を動かし」ているという支配の快感に溺れてゆくようになって終った。
無哲学・能天気の人間の満足感ですね。昔からある天下人の気持ちですね。
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