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2021年08月25日(水) 

>369914        「アメリカGHQが行った日本弱体化政策」公民館、黒塗り教科書  >姜ヨセフ ( 29 会社員 )       21/08/23 PM10 【印刷用へ】

>いまから75年前、日本を占領したGHQは、「二度と強い日本にさせない!」と考えて、日本が再び米国の脅威とならないことを確実にするため、徹底した「日本弱体化政策」を強制しました。  

 

意地・根性・大和魂の日本人は強いですからね。だがしかし、先の戦争には負けた。    

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)     

 

>リンク

>当時GHQは日本の強さの秘密として天皇を中心とした強固な共同体にあり、その共同体を維持しているのが「国家神道」だと考えていました。

 

我が国は序列社会ですからね。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまで固いきずなでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

政治家にも、政治哲学がない人が多い。我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っている。上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だから日本人の世界は小さい。

 

>だからこそGHQは占領開始直後、「神道指令」を発して、>・神道や神社に対する公的な財政支援 >・学校での神道に関する教育 >・役所や学校等での神棚設置 >などを禁止していったのです。  

 

これは日本文化全般に言えることであるが、日本人の宗教にも作法があって教義がない。これは国民が無哲学・能天気の為でしょうね。      

 

>ただ問題は、神道指令の対象が学校教育だけではなかった、ということです。>神道指令は、神社を中心とした伝統的な地域共同体の破壊を目論んでいたのです。

 

序列社会は人間の序列を破壊すれば、弱体化します。しかし、 ‘上と見るか・下と見るか’ の判断は、日本語にしっかりと結びついていますね。         

 

>戦前まで、地域共同体の中心には神社がありました。 >その年の豊作を祈る行事から、実りに感謝する秋祭りまで、一年のサイクルを通じて、人々は、天地の恵みと神々への感謝という宗教的情操を自らの内に育み、氏神様を中心として精神的な結束を固めていたのです。>地元の揉め事の解決から、お祝い事まで地元のあらゆる問題は、神社で開催される寄り合いにおいて解決されており、神社は精神的支柱であると共に、行政拠点の役割も果たしていました。

 

序列人間は自己の属する人間序列が究極のよりどころですからね。万事が序列信仰によりますね。      

 

>神道指令は、神社が果してきたこれら社会的機能を否定したことを意味していたのです。

 

そうですね。序列人間が人間序列を離れて生活をするのは大変なことですね。それは異国に移民するようなものでしょう。非国民になり外人になる。    

 

>神社を支援したら逮捕される! >地方自治体関係者も地元の有力者たちも怒りに震え上がったに違いありません。>しかし、GHQの策謀はこれだけでは終わりませんでした。>神社と地域社会とを分離させ、地域共同体をまとめていく力を奪っていく一方で、神社に代わる地域共同体の中心として構想されたのが「公民館」だったのです。

 

そうですね。始終神がかっていては良くないですね。でも、縦社会の住民が横社会の風習に馴染むことができるのか。GHQの苦労話は尽きることがありませんね。           

 

>公民館で行われたのは、映写機を持ち込んでの映画会で­した。 >上映される映画は、もちろんハリウッド映画であり、豊かな資本主義社­会が描かれており、欧米の民主主義、自由主義、個人主義、資本主義の浸透が行われたのです。 

 

そうですね。日本人に民主主義や自由主義を教えるのは、アフガニスタン人やベトナム人に主義を教え込むようなものでしょうね。効果が上がらない。    

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。     

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。  

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

>映画の合間には、国際ニュースが上映され、同様のプロパガンダが行われました。 >・神道指令による神話・神社の否定 >・映画による洗脳...等々   

 

ご苦労様なことですね。言語の仕組みから説き起こさないと序列社会の仕組み (mechanism) は解けることがないですね。   

 

>GHQのこれらの手口によって日本人は戦後75年たった今でも、学校で「神話」や「神社」について一切教わることはなく、 まるで、脳の一部を切り取られてしまったかのように、日本人としてのアイデンティティが失われてしまったのです。  

 

日本の文化には形式があって内容 (教え) がない。だから、特に形式には拘る必要があります。 あるのは日本人が良い気分・雰囲気を求める姿だけ。すると、生まれた時には宮参り。結婚式はキリスト教会。死んだときには葬式仏教の厄介になる。無哲学・能天気の日本人は内容などの矛盾を苦にすることはない。       

 

>しかし、「日本最古の神社の"形"を読み解くことで、日本人が失われた神話や神道の記憶が蘇る」と言います。  

 

宗教の原初的な形態は霊的存在への信仰ですね。   

 

>その為にもボクたちは神社という"形"から先人たちの歴史を学ぶ事によって日本本来の思想が呼び起こされ、GHQによって失われた日本人のアイデンティティを取り戻すことができるのです。      

 

アニミズム (animism) は原始 (未開) 宗教の特徴ですね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

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閲覧数266 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/08/25 17:03
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