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2021年12月08日(水) 

 

 

>閣僚派遣なら「国の意思表示」 「外交的ボイコット」に安倍元首相  > FNNプライムオンライン 2021/12/08 06:13

(略)

>安倍元首相は7日夜、アメリカによる北京オリンピックの「外交的ボイコット」に関し、「首脳や外相が行くのは、国の意思表示になる」と述べ、閣僚らの派遣には、慎重な検討が必要との認識を示した。  

 

そうですね。我が国は外交的ボイコットをすべきですね。    

 

>安倍元首相「首脳が行ったり外務大臣が行ったり、大臣が行くというのは、競技とは関係ない。>ある種、国の1つの意思表示になる」  

 

そうですね。政治家は競技と関係のない人たちですからね。

 

>安倍元首相は7日夜、BSフジ「プライムニュース」に出演し、中国の人権状況について、「是認しない」と強調した。

 

同感です。中国の人権無視を容認しない方針でね。  

 

>さらに安倍元首相は、ウイグルや香港などの問題を挙げ、北京オリンピックに「何事もなかったかのように各国首脳が集まっていいのか、それぞれ判断を迫られている」と語った。

 

そうですね。ここは政治家の判断のしどころですね。    

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・.

 

 

>岸田首相、危うい「国益」発言 米の北京五輪「外交ボイコット」受け、閣僚派遣見送り検討 石平氏「人権を強調した発信せよ」 > 2021/12/08 11:12

 (略)

>ジョー・バイデン米政権が、中国当局による新疆ウイグル自治区などでの人権弾圧に抗議し、来年2月の北京冬季五輪に政府代表を派遣しない「外交的ボイコット」を発表したことを受け、岸田文雄政権も閣僚の派遣を見送る方向で検討している。>ただ、発信の仕方次第では、日本の「人権」への姿勢を疑わせることになりかねない。

 

そうですね。わが国の国益には人権が入っていないでしょうからね。

 

>◇

>「五輪や、わが国の外交にとっての意義を総合的に勘案し〝国益の観点〟から自ら判断していきたい」 >岸田首相は7日、米国の「外交的ボイコット」発表を受けて、記者団にこう語った。 

 

そうですね。わが国の国益には人権は入っていないでしょうからね。    

 

>林芳正外相も記者会見で、「適切な時期に〝諸般の事情〟を勘案して判断するが、現時点では何ら決まっていない」と述べた。   

 

人権擁護は区の政治哲学ですからね。雑事と同列にはできませんね。   

 

>米政府は6日午後(日本時間7日未明)、中国のウイグルでの人権弾圧を「ジェノサイド(民族大領虐殺)」(ジェン・サキ大統領報道官)と断定して、「外交的ボイコット」を発表した。 >これを受け、オーストラリアのスコット・モリソン首相は8日、北京冬季五輪に閣僚や高官を派遣しないと語り、英国やカナダなどでも検討する動きが広がっている。 >人道上、ジェノサイドは看過できないのだ。 

 

人道主義の国であるかどうかの分かれ目ですね。    

 

>こうしたなか、産経新聞は8日朝刊で、日本政府が北京五輪への閣僚の派遣を見送る方向で検討していると報じた。>閣僚ではないスポーツ庁の室伏広治長官や、日本オリンピック委員会の山下泰裕会長を派遣する案が浮上しているという。 

 

政治家は競技に参加しないから行くべきではありませんね。  

 

>中国は東京五輪開会式に、閣僚級の苟仲文国家体育総局長を出席させたが、日本が閣僚級を派遣すれば、国際社会に誤ったメッセージを与えるとの判断があるようだ。 

 

閣僚は競技に参加しませんからね。    

 

>ならば、岸田首相や林氏は「国益の観点」「諸般の事情」といった損得を印象付ける言葉ではなく、もっと「人権」を強調すべきではないのか。

 

そうですね。

日本人には現実 (事実) があって非現実 (哲学) がない。

だから、どうしても現実 (国益・諸般) が前面に出る。現実の世界は処世術 (損得勘定) で成り立っていますからね。

現実を抑えて非現実の発展を促す決断が必要ですね。政治哲学 (非現実) の世界は人権擁護が常識です。偉大な政治家は常に時代の先取りをしますね。

わが国の政治家はどうかしら。現実に振り回されないと良いのですがね。        

 

>日本は歴史的に「人権問題の是正」を呼びかけてきた。

 

人権は日本人にとっての美辞麗句ですね。歌詠みのように当たり障りがない。意味がないので自己主張にならない。    

 

>第一次世界大戦後の1919年に開かれたパリ講和会議でも、人種差別撤廃の提案を行っている。 

 

自己の処世術 (損得勘定) に差しさわり無い限りにおいて、日本人の美辞麗句は続けられますね。国益・諸般に差支えが出る事があれば美辞警句はすぐにぴたりと止まりますね。かすり傷一つ受けても自己の損は損ですから。       

 

>中国事情に詳しい評論家の石平氏は「日本は自由主義の主要国家として、もっと『人権』を強調した判断・発信をすべきだ。 

 

日本人には人権問題は難しいですね。   

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

 

>『人権弾圧』と『国益』を比較するような発信は、米国をはじめとした先進国との関係に隙間をつくり、中国を利することになりかねない」と語った。  

 

そうですね。先進国の中に話の分からない国が紛れ込んでいることを中国は目ざとく見つけますね。日本人には現実があって非現実がない。わが国の国益は現実の中にあって、非現実 (哲学) の中にはない。だから、わが国には人手不足はあっても、頭脳不足の話はない。非現実が無いということは、もっぱら現実に執着することで先進国との関係に隙間を作ることなる。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。 

 

 

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閲覧数230 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/12/08 17:14
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