>zakzak >「憲法改正し自ら国守れ」石原慎太郎氏が残した“国会遺言” 尖閣問題「寄らば切るぞと毅然対応せよ」「天皇陛下は神道の大祭司。靖国参拝を」 > 2022/02/05 10:00 (略) >石原慎太郎氏が2013年の国会論戦で「日本人への遺言」を残していたことが、改めて注目されている。 >東京都知事を辞任して国政復帰した直後で、悲願の憲法改正や、沖縄県・尖閣諸島の実効支配、首都圏上空の横田空域、国のバランスシート、天皇陛下の靖国参拝などについて持論を披露していた。 >当時の映像を見直すと、石原氏の憂国の思いがあふれていた。
彼には政治改革を実行するための十分な同志は得られなかったのですね。彼の問題点は何ですかね。
>◇ >「浦島太郎のように、18年ぶりに国会に戻ってきた『暴走老人』の石原です。>これからの質問は、国民の皆さんへの『遺言』のつもりです」 >石原氏は13年2月12日、通常国会の衆院予算委員会で質問に立ち、こう述べた。
以後、日本人には何事も起こらないことを彼は悟っていたのですかね。
>当時、橋下徹氏とともに、旧日本維新の会の共同代表を務めていた。 >前年12月、政権奪還を果たした安倍晋三首相を前に、次のように語り始めた。 >「この国を今日の混乱、退廃に導いた大きな原因は現行憲法だ」 >「戦争の勝利者が敗戦国を統治するために強引につくった既製の基本法が、数十年にわたって存続している事例を、私は歴史の中で見たことがない」 >「自分で自分のことを決められなかった国は速やかに滅びる。 >国の防衛を傭兵に任せたローマ帝国がそうだった」 >米国からの「自立」を唱えた石原氏らしい。
我々には自立が必要ですね。しかし、日本人の自立は難しいですね。 日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。 意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく) どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。
>「あの前文の醜さ、何ですか」>「絶対平和という、一種の共同幻想だ」>「非常に厄介な状況が日本の周りでどんどん進展している」>「自分自身で守り切る基本的な法制をつくる必要がある」>「できるだけ早期に大幅に変えて、日本人のものにしていただきたい」
そうですね。しかし、意思の無い人間には責任がない。これはちょうど死刑執行人の立場のようなもので、彼らは人が死んでも殺人罪には問われない。彼らには殺意という意思がないからである。人々は自己の意思に依ることなく、事の次第・自然のなりゆきにより行動をおこす。だから、リーズン (理性・理由・適当) により行動することが無い。これはアニマルも同じである。説明責任が取れないので、兎角この世は無責任となる。 日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。 ‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り) ‘兎角、この世は無責任’ という事か。 意思の無い人間には、能動的な行動をとることが無く受動的な行動ばかりをする。だから、問答無用の状態になっていて、その犯行を見ているのも恨めしい。わが国は実に恨めしい世の中になっている。だから、’恨めしや―’ と言いながら幽霊も出る。これは国際基準ではない。 ‘誰も責任をとりたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン ・ダワー 敗北を抱きしめて 下) 自己の意思を示せば当事者・関係者となる。示さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がないから、常に傍観者になる。高みの見物をする孤高の人か。わが国は世界の中にあって、世界に属していない。
>委員室には緊張感が張り詰め、ヤジ一つない。 >石原氏は都知事時代、都による購入計画を進めていたが、直前に民主党の野田佳彦内閣が国有化した尖閣諸島にも言及した。 >「(国有化で)国と国の問題にした」
尖閣諸島は以前から国と国との問題でしょうね。それを野田佳彦内閣が分かりやすい形にしたのでしょう。
>「東京都が買い取った方がよかった」 >「今、日本がやっているのは実効支配とは言えない」 >「最低限(一番大きな魚釣島の頂上に)灯台をつくっていただきたい」
そうですね。それは、中国の南沙諸島進出のようなものでしょうね。北方領土でも竹島でも相手国はわが国の領土に建設工事をしていますね。建設工事は領土問題に関する自己主張の国際常識のようなものになっているのでしょうかね。わが国が魚釣島に何も建設工事をしないということに何か特別な意義があり、それが相手国 (中国) に効果的に伝わる外交手段になっているのでしょうかね。
>「(中国の挑発には)毅然(きぜん)とした態度を取ればいい。>侍と同じように、『寄らば切るぞ』と、パチンと鯉口を切ることですよ」
そうですね。おどおどしていても始まらないですね。話し合いが先ですね。話し合いが上手く行かないと後の事も上手く行かないでしょうね。 中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 (お) う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。 ・・・・・ 中華 (ちゅうか) [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる] 東夷 (とうい) [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した] 南蛮 (なんばん) [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう) [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北てき (ほくてき) [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。
>天皇陛下と、英霊が眠る東京・九段の靖国神社についても語った。>「神道の大祭司たる天皇は、日本の感性がもたらした文化の象徴であり、政治の象徴ではない」
そうですね。天皇は日本文化の象徴ですね。 日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。 日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。 [序列人間] 日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。 [名誉ある地位] 我が民族の序列メンタリティは国がひっくり返った後にも変わりませんでしたね。新憲法の前文には、 ‘・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。’ と高らかに宣言しています。地位とは国際社会の序列順位の事で、国際問題に関する問答には関心を持たずにひたすら順位の向上を待ち続ける奇異な民族の代表として存在します。序列メンタリティが邪魔になって問答ができないのか、問答ができないために序列メンタリティから離れられないのか。英語の習得力が不十分なためか。
>「天皇陛下が、戦争で亡くなった人を悼み、お参りをされることは祭司として当然のこと」>「天皇陛下にぜひぜひ、靖国参拝していただきたいと奏上をお願いしたい」
日本人には意思がないから、相手の犠牲に対する敬意を表することが難しい。だから、戦死者に対しても同様になる。死者に対する単なる供養になる。これではウナギの犠牲に対する儀式と変わりない。
>石原氏は持ち時間の1時間40分、圧倒的な知識をもとに、日本の抱える問題と、それを克服する戦略について語り続けた。>〝最後の授業〟ともいえるものだった。
彼の最後の授業は、日本人問題の提起ですね。意思がない、責任がない、罪がない、議論ができない、などの日本人の弱点を補うことを目的として英語による考え方を利用する。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣) 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。 国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。意思ある人の自由は自己主張の自由であり、意思の無い人の自由は没個性の自由ですね。'あるべき姿' の追及がない。だから、日本人の自由には意味がない。 とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。
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