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2022年02月10日(木) 

 

 

>東洋経済オンライン  >日本人がわかってない欧米流リーダー育成の凄み 問題解決能力を養うディベート力が必須のスキル  > 中谷 安男 2022/02/09 17:30

(略)

>イギリスにはボリス・ジョンソン首相をはじめ、世界的な政治家やCEOなどのリーダーを輩出し、世界一といわれるディベート組織「オックスフォード・ユニオン」があります。

>なぜディベート力がリーダーに大切なのか、言葉の文化、歴史的な背景、人材育成の伝統とは?      

 

英語を使うと人間が考え (非現実) の内容を獲得することが可能になり、個性的になる。だから、自己実現が盛んになりますね。    

現実 (事実) は見ればわかる。現実の正解は一つしかない。非現実 (考え) の内容はみることができない。だが文になる。文にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っている。だから、正解は無数にある。体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  そうでなければ我々は、つかみどころのない人間になる。   

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)

我が国には人手不足の話はあるが、頭脳不足の話はない。わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの歌詞には意味がない。 

 

>オックスフォード・ユニオンのリーダーシップのはぐくみ方と交渉術をまとめた中谷安男氏の著書『オックスフォード 世界最強のリーダーシップ教室』から一部抜粋、再構成して3回連載でお届けします。 >世界のリーダーが駆けつけるディベート議場とは?  > 最初に結論から申しますと、欧米のリーダーは教育を受ける中で積極的にディベートに参加することを求められます。 >これが日本の教育と最も違う点です。

 

そうですね。日本人にとって ‘口答え’ をすることは悪い習慣ですね。      

 

> イギリスとその旧植民地の同盟であるコモンウェルス54カ国とアメリカでは、これが特に顕著です。

 

アングロ・サクソンの伝統ですね。英語を使うと考えを深めることができますね。      

 

>ディベート力が将来のリーダーに必須のスキルと考えられています。 >後で詳しく述べますが、ディベートは問題解決能力を養うのに最適で、現代のように課題が大きければ大きいほど効果が発揮できるのです。  

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)    

 

> 舞台は、世界最高のディベート組織であるオックスフォード・ユニオン(以下ユニオン)です。 >ここは世界のリーダーが集まり、未来のリーダーと積極果敢に議論を行い、課題の解決方法を探索します。 > チャーチルをはじめメイ、キャメロンなど歴代のイギリスの首相だけでなく、ニクソン、クリントンといったアメリカ大統領も登壇しました。 >活動家としては、マリア・テレサ、ダライ・ラマ。 >ビジネス界ではコカ・コーラCEOクインシー、LVMHの代表アルノーたちも、学生と熱心な質疑応答を行いました。 > なぜ世界のリーダーがわざわざ学生と討議に来るのでしょうか。 >その理由を探索するために、ユニオンで何が行われ、そのことが危機時のリーダー育成にどのような影響を与えるのか見ていきます。 >日本のリーダーの課題や育成のヒントも得られるはずです。 > 世界をリードしてきたアメリカや、かつて巨大な勢力を誇ったイギリスでは、ディベートを問題解決の手法として大いに活用します。

>例えば、アメリカの大統領選挙は候補者同士がディベートを行い、その優劣が選挙結果に大きな影響を与えます。 

 

R. ニクソンはJ.F. ケネディと議論して負けて、大統領選挙にも彼に負けましたね。   

 

> また、イギリスの国会審議は与野党の代表が活発なディベートを行います。 >その結果を基に投票で予算の審議や、法律の制定をしていきます。 >このイギリス議会で行われる討論は、パーラメント・ディベートと呼ばれます。 > イギリスだけでなく、オーストラリア、ニュージーランド、インドを含むコモンウェルスでは、この形式を早い時期から教育に取り入れ、若者を徹底的に鍛えます。 >これらの国を中心に50カ国以上の大学が参加する世界ディベート選手権が毎年開かれており、2020年の優勝はユニオンのチームです。 >世界中から集い、学生時代からリーダーを目指し、国際レベルで切磋琢磨しているのです。 > 残念ながら日本では、世界標準であるディベートの正しいやり方や、それが与える人材育成へのインパクトも十分認識されていないようです。

 

そうですね。わが国の人材育成は昔のままですね。イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

> 以下、パーラメント・ディベートの手法に沿って話を進めていきます。 >大学生のディベートで歴史が作られる?   > 欧米ではディベートが、最高の知的競技と見なされ、大学でもその手法を伝統的に活用しています。 >オックスフォードでは、ベリオール・カレッジが1263年の設立から、週に1回ディベートを続けています。 > ディベートは、その時代の重要な課題に対する議題を、賛成・反対の立場から交互に議論し、最終的に優劣を聴衆が判定します。

 

民主主義の基礎ですね。思考を停止している人間によるただの ‘数合わせ’ だけでは衆愚政治は避けられませんね。       

 

>ユニオンでは、最高の議論を行うため、世界大会で活躍する学生だけでなく、現役のトップリーダーが討議者として招かれます。 > 例えば、2021年11月に「巨大テクノロジー産業なしには生きていけない」というディベートが行われました。 >このとき、アメリカの連邦取引員会の元議長や、イギリス保守党のオンライン安全委員会議長など専門家6人も討論しています。 > 社会的にとても注目度が高いのは、このように世界の専門家も集い、今の深刻な課題の解決に向けて、熱くディベートを行うからです。 > さて、大学生が世の中を変えられるのでしょうか。 

 

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

 

>実は、オックスフォードのユニオンで行われたディベートが、歴史を変えてきたと言われています。 >この中で、次の3つの事例が特に有名です。 > まずは、1933年に行われた、最も有名な「国王と国家」のディベートです。 >第2次大戦の開戦前で、ヨーロッパの緊張が高まる中で実施されました。 >このとき、オックスフォードの学生たちは、「いかなる状況でも国王と国家のために戦わない」という採決をします。 > この結果を基に、ヒトラーは「イギリスの若者は士気が高くない」と考えたという伝説があります。 >ディベート結果がナチスのヨーロッパ侵攻を決意させたというのです。 >また、大戦中の首相チャーチルは、このユニオンの結果が「イタリアの独裁者ムッソリーニを決心させた」と国会で糾弾しました。 >このユニオンの決議は後に「オックスフォードの誓い」として広がり、平和運動を進める世界の学生の大義に使われます。 > この採択の中心人物フットは、ユニオンの代表も務め、卒業後は労働党の政治家として活躍し党首になります。 

 

まさに ‘文は人なり’ ですね。   

 

>黒人の差別問題に目覚めたイギリス?  > 2つ目は、急進的な黒人解放運動の指導者マルコムXが参加した1964年のディベートです。>当時はまだ、オックスフォードは白人富裕層の子息が主流と考えられていました。 >このような状況で、過激派と見なされる黒人指導者に発言させることは物議をかもしました。 > このとき、ユニオンの代表は元イギリス植民地ジャマイカ出身のエイブラハムです。 >彼は、黒人の差別問題をイギリスの人も直視すべきだと考え、ユニオンのメンバーを説得し招聘を決めました。> このユニオンでのディベートはテレビ放映されます。>急進的になるしかない黒人側の意見を、初めてじっくりと聞いた人も多くいました。 >黒人解放運動がまだ黎明期の時代に、差別される側の代表も招聘し、「自由に議論をする」意義を人々に認識させます。> エイブラハムは卒業後BBC放送の最初の黒人レポーターとなります。 >ジャマイカ帰国後は、ユニオンで身に付けたディベート力を活かし、最年少で政府高官になります。

>その後ジャマイカの経済自立の立役者として活躍しました。

 

英語圏には人物を育てる基礎がありますね。我々は、そのことを忘れないようにしないといけませんね。       

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ています。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話です。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)  

 

> 2020年1月31日にイギリスはEUを正式に離脱しました。 >実は、1975年にもEUの前身である欧州共同体ECの残留をかけて国民投票を行っています。 >3つ目の事例は、この投票の数日前にユニオンで行われた、残留の是非を問うディベートです。 > このとき、学生時代ユニオンの代表として活躍し、イギリス首相を務めたヒースが、現役政治家としてディベートに戻ってきます。 >彼は、学生時代にユニオンに来たチャーチルとの討議を通して、イギリスは欧州とともにあるべきだと確信します。 >その目標を達成するために政治家を目指し、保守党のリーダーになりました。 >そして1973年に首相としてディベートで議会を説得し、欧州共同体への加盟を実現させていたのです。 > ところがこの後、労働党を中心にイギリスは独自の道を行くべきだという意見が強くなります。>世論に押される形で、1975年の国民投票が行われることになったのです。 > 1975年、ヒースも登壇したユニオンのディベートもテレビ中継され、結果は493対92で「残留すべき」となりました。 > この放映によって、態度を保留していた人々も影響を受けたと言われています。>結果的に、国民投票で欧州共同体への残留が可決され、2020年までEUの加盟国として参加を続けていたのです。 

 

マスコミが民主政治の役に立ちますね。

日本の若者たちが堕落した理由を石原 [慎太郎] 氏はこう語ったそうである。 「日本のアイデンティティは何かと問われると、今は『我欲』しかない。 金銭欲、物欲、そして性欲。それは衝動的な感情にすぎないが、それを増幅し、媒介しているのが携帯、あるいはパソコンです。 テレビでは、温泉、グルメ、お笑いばかり。これは好ましいことではない」(週刊ポスト、2011年2月25日号掲載)

 

>今のリーダーがディベートで未来のリーダーを育てる   > この3つの例が示すように、学生が主催するユニオンのディベートは、社会の問題と大きくかかわりを持ち、今でも発展を続けています。 >「平和運動」「人種差別」「外交問題」、これらは現代も重要な課題です。 >ユニオンでは政治、経済、アカデミックの第一人者が招かれ、世の中の課題について、志の高い学生と真剣に討議を行います。> つまり、今の当事者であるリーダーと、次の世代のリーダーが言葉を使って「論争」します。 

 

自己の意思を示せば、当事者・関係者となる。示さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がないので、常に傍観者になる。序列関係のない深刻な事態にも高みの見物をしている。わが国は世界の中にあって、世界に属していない。 

 

>目的は、未来を担う若者が、現状の課題や困難を把握し、「何を」「どのように」変えるべきか深く考え、認識することです。  

 

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。  

 

>やがて彼らは、実社会で経験を積み、準備ができたら、課題の解決に全力を尽くします。 >ここで紹介した3人の学生リーダーのように、歴史を、少しでもいい方向に向かわせるために。 > 次回は、なぜディベートが重要なリーダー育成方法なのか、より詳しく紹介します。  

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)     

 

>ギリシア時代から続く、言葉を使って課題を把握し、言葉を使って問題を解決していく欧米の伝統と、交渉のためのコミュニケーション戦略を見ていきます。

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。      

 

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閲覧数926 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/02/10 02:54
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