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2022年04月11日(月) 

 

 

>ダイヤモンド・オンライン  >【東大名誉教授が読み解く!】なぜロシアでは「独裁者」が生まれやすいのか?  >ワークマンパブリッシング - 昨日 6:00

 (略)

>ウクライナへの大義なき軍事侵攻によって、ロシアが国際社会で孤立を深めている。 >暴走するプーチン大統領への憤りは、「なぜこんな独裁政治を許すのか?」というロシアの国家体制への大いなる疑問をも生み出している。 >そんな激動の国際情勢に心乱されるなかで、全世界で700万人に読まれたロングセラーシリーズの『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』が出版された。 

 

英語の出版物は世界に大きな影響を与えますね。    

 

>本村凌二氏(東京大学名誉教授)「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。 >でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。 >わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」、COTEN RADIO(深井龍之介氏 楊睿之氏 樋口聖典氏・ポッドキャスト「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」)「ただ知識を得るだけではない、世界史を見る重要な観点を手に入れられる本! 僕たちも欲しいです」、佐藤優氏(作家)「世界史の全体像がよくわかる。 >高度な内容をやさしくかみ砕いた本。 >社会人の世界史の教科書にも最適だ」と絶賛されている。 

 

大義なき軍事進攻により我々には世界史の勉強が必要になりましたね。    

 

>私たちは、世界史から何をどのように学ぶべきなのだろうか。 >本書の帯に推薦の辞を寄せた、東大名誉教授で歴史学者の本村凌二氏にインタビューを行い、プーチンの独裁を許しているロシアの知られざる実情について話をうかがった。 >(取材・構成/真山知幸)>「そいつを死刑にしろ」  >――ウクライナへの軍事侵攻によって、プーチン大統領への国際的な非難が高まっています。  

 

そうですね。プーチンのウクライナへの軍事侵攻は蒙古の襲来の再来を思わせますね。    

 

>どうして、ロシア国民はこのような独裁政治を許しているのでしょうか。

 (略)

>本村凌二(以下、本村):ロシアにはこんなジョークがあります。 >ニキータ・フルシチョフの時代にフルシチョフを馬鹿者呼ばわりした人がいたので、フルシチョフが「そいつを捕まえて死刑にしろ」と言いました。 > 周囲の人が「どうして馬鹿者呼ばわりしただけで死刑になるのだ」と聞くと、フルシチョフはこう答えました。 >「国家最高の機密をばらしたから」。 > こんなジョークが出てくることからも、ロシア国民は独裁政治を当然のこととして受け止められているといえます。   

 

そうですね。ロシア人はジョークが上手ですね。      

 

>ロシアでは、共産主義の時代よりもはるか以前から、指導者に独裁性が見られます。 >国民はすっかり独裁政治に馴染んでしまっているんですね。

 

そうですね。ロシア国民は250年間も異民族の蒙古人に支配されて耐圧生活を続けてきましたからね。彼らは強い指導者には慣れていますね。(わが国の徳川時代は260年間続きましたね。)       

 

> なにしろ、ロシアは地理的に異民族の脅威に晒されています。 >隙を見せれば襲来してくる異民族と対等に渡り合うには、「強いリーダー」でなければなりません。 >ロシアで独裁者が支持されやすいのは、そんな背景も関係しています。

 

そうですね。現在でもロシアの中高年は強い指導者望んでいますね。      

 

>――強いリーダーでなければ、国としての体制が保てないということなんですね。  >島国に住む日本人には理解しにくい感覚かもしれません。  

 

そうですね。日本人は海岸線を国境と考えていますからね。瀬戸際対策で国難を処理するのが得意ですね。わが国には沿岸警備隊はなくて、海上保安庁の巡視艇がある。外敵に対するピントがずれていますね。      

 

>本村:たとえハッタリでも、自分を誇示して信念を貫く。>ロシアでは、そんな強いリーダーこそが価値ある人間とされています。

 

そうですね。ロシア人はあくまでも強いリーダーを求めていますね。    

 

> 一方、日本では、穏やかでバランス力があり、周囲に忖度できるリーダーが好まれる傾向にあります。  

 

日本人には意思がない。だから日本の改革には強い意志を示すナポレオンもレーニンも毛沢東も必要でなかった。 

 

>ロシア国民に支持されるようなリーダーは、日本人だったらむしろ嫌われるタイプではないでしょうか。

 

そうですね。我が国では叡山の坊主を丸焼きにするような指導者は嫌われますね。   

 

>――そのような背景があったとしても、今回のウクライナ侵攻のような、独裁者の振る舞いは許されるべきものではありません。  

 

そうですね。犯罪ですね。今回の侵攻は正に元寇の再現ですね。    

 

>本村:プーチンのような独裁者が生まれる背景を「理解する」ことは、独裁者の存在を「許す」ということではありません。   

 

そうですね。日本人の現実肯定主義は通用しませんね。’無理が通れば道理が引っ込む’ では済まされませんね。         

 

>自分の理解が及ばないからといって、「頭が狂った独裁者だ」と片付けてしまうことこそが、悲劇が繰り返される要因ではないでしょうか。 > なぜ、独裁者が生まれやすい国があるのか。 >そこを読み解くことで、独裁者が生まれる土壌を理解することができ、自分たちはそんな方向に向かわないようにする、という選択肢がとれるのです。  

 

そうですね。ロシア人は白人ですが、そのメンタリティ (考え方) は蒙古風ですからね。    

 

>独裁者を生み出さないために大切なこと   >――独裁者を生み出さないために、大切なことはどんなことでしょうか。 >本村:ロシアが独裁政治に馴染みが深いのは「異民族と渡り合わなければならないから」と説明しましたが、逆に「なぜ民主制や共和制がロシアに馴染まなかったのか」と考えると、また別の理由がみえてきます。 

 

彼らは無哲学・能天気だからではないでしょうか。それでノンポリ・政治音痴になっている。国際社会の進歩に追いつけない。      

 

> それは、かつてのロシアの識字率の低さです。 >哲学者のジャン・ジャック・ルソーが書いた『社会契約論』は、フランス革命に大きな影響を与えました。 > つまり、フランス革命が実現したのは、庶民層がルソーの著作に触れることができたからといえます。  

 

‘魚心あれば水心’ ですね。   

 

>一方、ロシアの場合は、農民の7~8割は文字が読めませんでした。 >これでは民主制を実現するどころか、それが何たるかを理解することもできません。 > そんな背景を踏まえると、教育を重視して国民に国際的な教養をつけること。 >それが独裁者を生み出さない国家づくりを行うための、一つのポイントだといえるでしょう。

 

そうですね。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 我が国の ‘かな漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。だから表記法の改革も進まない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。          

為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。 (上杉鷹山)    

 

>――世界史の教養があるかどうかで、他国の理解しがたい政治体制も、その背景が見えてきそうです。 >ただ、日本史と比べると世界史はあまりに広く、何からどう勉強したらよいのかわかりません。 >本村:自国の歴史により関心を持ちやすいのは、当たり前のことです。 >ただ、世界史を学ぶうちに、日本史との共通点も見えてきて、今私たちがすべきことを見出すことができます。  

 

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

> 勉強は、高校で習う世界史をざっと理解しておく程度で十分です。 >その代わり、一回で済ませないで、何度も繰り返し読むことです。 >『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』はイラストも豊富なので、これから世界史を学ぶ人には、ちょうどよいレベルと分量といえます。  

 

人類の知識の大半は英語の文献の中に記録されているので、我々日本人には英語を習得することも必要ですね。    

 

> 世界史の知識を身につければ、今起きている国際問題を自分事としてとらえることができます。 >入門書を何度も読むことは、国際的な教養を身につける大きな一歩になることでしょう。

 

そうですね。自己の意思を表せば当事者・関係者になることができます。意思を表すことが無ければ傍観者にとどまります。     

 

 

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閲覧数193 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/04/11 04:55
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