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2022年05月29日(日) 

 

 

>感動の名言!アインシュタインの名言の解説1「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ」   >2017年1月22日2018年3月9日   

>こんにちは!かつぜんです。  >今日のテーマは、「アルベルト・アインシュタイン」が残した、名言の解釈〈その1〉です。  >20世紀最大の物理学者とも呼ばれる、アインシュタインが残した言葉は、妙に強い説得力を感じます(笑)   

 

そうですね。   

 

>けっこう好きな言葉が多い人です。  >物理的な事実を根拠とした言葉であるからこそ、強い説得力をもっているのでしょう。  

 

それは印欧語族の考え方ですね。   

 

(略)

>「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである」   

 

過去・現在・未来を語るのは印欧語族の特色ですね。前世・現世・来世を考えるのもその一つでしょうね。   

各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy. 

 

>アインシュタインが残した名言の解釈。  >今回は、この名言を解釈したいと思います。  >解釈・解説   >過去、現在、未来とあって、   「過去」、つまり過ぎた事は、絶対的にいじることが出来ません。 >変える事が出来ません。 >過去の失敗を思い出して『ああしとけばよかったな』と思う事。 >つまり『後悔の念』は、誰しも抱きがちですが、後悔だけしていても、ただただ元気がなくなるだけで、なにも意味は有りません。   >「後悔」を「反省」に変換すべきだと、僕は思っています。

 

そうですね。’禍を転じて福と為す’ の心構えが必要ですね。   

 

>反省とは、過去の失敗から学んだことを、「未来のための今」に、活かすことです。 >過去、現在、未来とあって、   >大事なのは「未来」で、  >そして、   >いま触ることができるのは「今・現在」のみです。 >何のための今か?   >未来のための今です。  >「理想とする未来」という結果のための、「原因としての今」を、過ぎてしまった「過去から学び」、それを活かして生きるべきなのだと思います。   

 

そうですね。 言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)   

 

>ただの後悔に、何の意味もないと、僕は思います。 >後悔から反省を生み、「そうなった原因」を見つめなおし、疑問が生まれ、それを解いて、改善し、今に活かす。  >“同じ轍を踏まないようにする”といってもいいかもしれません。   

 

それは学習ですね。    

 

>また、 失敗をただ後悔だけする事に、何の意味が無いのと同じくらい、失敗を、ただ「他の人の責任だ」「自分には問題ない」「この失敗と自分は関係ない」「何も疑問は無い」として、スルーしてしまう事も、意味が無いと思っています。   

 

日本人には意思がない。受動があって能動がない。だから他人のせいにする。   

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。思考停止に陥っていて生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。この筋道で成功すると、後追いの専門家になりますね。後追いの人は世論指導者としては適格ではないでしょう。 

 

>一時的に感情を鎮めるテクニックとしては「責任転嫁」というのは、有効であると思います。  >しかし、一時的であり、失敗を誰かのせいにしてスルーし続けていたら、未来に必ず同じような失敗が起こります。 >そしてまた同じような「いやな気持」になります。  >それを、繰り返すことに意味はなく、無駄と言えます。   

 

進歩がないですね。賽の河原の石積みのようなものですね。      

 

>仮に、直接的に失敗を起こした他人や、または足を引っ張った他人がいたとしても、それを事前に見抜けなく、対処できなかったのは、自分です。 >その場合、事前に見抜いて、対処できる自分になればいいのです。 >失敗したら、反省し、その原因を学び、理想的な未来のための、今に活かす。   

 

そうですね。それは建設的な意見ですね。    

 

>進化成長の人生を歩む人にとって、この意識の使い方は、常に必要であると思います。   

 

そうですね。   

 

>「過去の全ての失敗から学ぶ」   

 

失敗は貴重な学習の元ですね。

 

>「自分が認識する全ての失敗の原因は、自分の中にある」   

 

為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。 (上杉鷹山)   

 

>「その原因を学び、改善し、今に活かす事が、その失敗の無い理想的な未来を作る」  >「それを続けることが、自らの理想を実現させる」   >というスタンスで生きる事が、成長を生み、理想的な未来を創るのだと、僕は思います。   

 

そうですね。

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 我が国の ‘かな漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。これを自然の中に生きているというのであろうか。だから表記法の改革も進まない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。       

 

 

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閲覧数24 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/05/29 05:37
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