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2022年08月05日(金) 

 

>山本太郎氏「旧統一教会と関係切れない政治家は退場」発言に相次ぐ賛同…“アンチ”も「正論」「その通り」   >8/5(金) 6:00配信   >女性自身

>7月の参院選で当選した新人議員らが続々と初登院した8月3日召集の臨時国会。 >NHK党の“ガーシー”こと東谷義和議員(50)が欠席し物議を醸したいっぽう、一目置かれた議員が。 >それは、れいわ新選組の山本太郎代表(47)だ。

 

そうですね。  

 

>山本氏は今年4月に衆院議員を辞職し、参院選に出馬する意向を表明。 >7月の参院選では東京選挙区から立候補し、定員6名のなかに滑り込んだ。 >同日の午前8時に国会正門が開くと、同じく同党から初当選した水道橋博士議員(59)と姿を現した山本氏。 >報道陣に囲まれ、「政治と旧統一教会の関係をどう思われますか?」と問われると、こう言明したのだ。 >「はっきり言えば、ここ(旧統一教会)と距離を置かない政治なんてあり得ないわけです」  

 

そうですね。   

 

>続けて、「これだけの多くの被害者を生み出して、逆に言えば、この国に生きる人々から搾り取ったお金、かすめとったお金、だまして奪い取ったお金を、韓国側にも流されているわけですよね。 >こういうことはあり得ないと思います」とコメント。 >そして、「旧統一教会と呼ばれるものとの関わりをいまだに切れないと言われているような政治家には退場していただくしかないと思っています」と強く批判したのだった。

 

現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、ご唱和の内容になる。

非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。文にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っている。だから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。

 

体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  思考を停止して人は、つかみどころのない人間になる。日本人には自己の考え (非現実) がない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。     

 

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

 

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。  

 

>安倍晋三元首相(享年67)の銃撃事件を機に、政治家と旧統一教会(現在は世界平和統一家庭連合)の親密な関係が取り沙汰されている。 >旧統一教会は、昭和の末から霊感商法や多額な献金被害が社会問題とされてきた。  >「関わりのある議員が最も多いのは自民党です。 >例を挙げると、安倍元首相の実弟である岸信夫防衛相(63)は、旧統一教会の関係者から選挙で支援を受けていました。  >末松信介文部科学相(66)は、教団関係者が’20年から’21年にかけて政治資金パーティー券を購入したことを明らかに。  >石破茂元幹事長(65)も3日放送のテレビ番組で、’17年に教団関連企業の元社長から献金10万円を受け取ったと明かしました。   

 

無哲学・能天気の政治家には政治哲学がない。そして、処世術 (損得勘定) ばかりがある。哲学は非現実 (考え) の内容、処世術は現実 (事実) の内容である。生きた政治には未来の先取りが必要である。   

 

>教団との関わりは、与党だけでなく野党にも及んでいます。 >大阪維新の会では所属議員ら16名が教団関連団体のイベントに出席したという調査結果を発表。 >立憲民主党も、議員8名が教団関連団体の会合に祝電を送るなど接点を持っていたと明らかにしました」(全国紙記者)   

 

金の威力には政治色がないのでしょうね。   

 

>次々と明かされる旧統一教会と政治家たちの関わりを一刀両断した山本代表に、ネット上では《全くその通り》《よくぞ言ってくれた》と賛同の声が相次いでいる。 >さらには、山本代表の“アンチ”からも支持を得ているのだ。 >《自分は山本太郎の政策方針は支持しないけど「統一教会との関係切れない政治家は退場を」これはその通りだろう》 >《山本君は嫌いだけど、統一教会と関係のあった議員の辞職には賛成です》 >《山本太郎は好きじゃないけど、正論だと思う》  

 

これは山本代表のポピュリズムですかね。    

 

>「山本代表は政治家に転身して以降、しばしば言動が物議を醸してきました。  >’15年には安倍元首相の問責決議案採決の際に、喪服姿で参院本会議に出席。 >数珠を持ち、手を合わせるなどの仕草をして厳重注意されました。  >昨年も、自民党の麻生太郎副総裁(81)が“不況の原因を作った”として、『万死に値する』と発言。>ネット上で、『言い過ぎだ』などと批判の声が上がりました。  

 

山本代表は気分・雰囲気の問題にならないようにしたいですね。あくまでも批判精神で押し通してもらいたいですね。

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

 

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

>過激な言動から“アンチ”も多い山本代表ですが、旧統一教会と政治家の癒着を追求する姿勢には期待が寄せられているのでしょう」(前出・全国紙記者) >初日から熱弁を振るった山本代表だが、これを皮切りに“れいわ旋風”を巻き起こすことができるだろうか。

 

ポピュリズムの旋風ですね。旋風は短命に終わるでしょうね。   

 

 

 

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閲覧数373 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/08/05 09:59
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