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2022年09月20日(火) 

 

>Society   >日本人の宗教観、海外と違うけど変じゃない?米メディアが探る日本人の心根   >Sep 22 2015  

(略)   

> お正月には神社に詣り、結婚式はキリスト教の教会で挙げ、お葬式は仏教に則る。  >こういった、生活の中にいくつもの宗教が混在する日本人の宗教観を、一神教を基調とする欧米人は理解し難いと感じているようだ。   

 

そうですね。日本語は写生画の言葉である。現実を写すためにある。だが、非現実 (考え) を写さない。だから、日本人の文化には形があって、内容が無い。日本人の宗教には儀式があって、教義がない。だから、教義の為に儀式を行う人たち (欧米人) から見れば日本人の宗教は不可解である。   

 

>その背景にあるものを、いくつかのアメリカメディアが探っている。  >◆宗教が生活の一部として存在している日本  > クリスチャン・サイエンス・モニター紙(CSM)は、宗教と信仰が大部分において乖離している日本の状況について論じた記事を掲載した。  

 

宗教は儀式、信仰は教義ですからね。日本人には儀式があって、教義がない。だから、宗教と信仰は乖離していますね。   

 

>同紙は、世界の宗教に関するニュースを幅広く取り上げている。  > CSMはまず、調査会社WIN/Gallup Internationalが発表した信仰心に関する調査結果を引用し、日本は62%もの人が信仰はないとしているにもかかわらず、多くの人が寺社仏閣などに参拝している日本の状況を説明する。  >つまり、ある参拝者が述べるように「神社にお詣りするのは、宗教を信じているのとは別」であり、宗教が生活の慣習の一部として存在しており、「聖と俗が分かちがたい状況にある」ということだ。   

 

日本人の宗教には聖がなくて俗だけがある。   

 

> その理由の1つとして、CSMは日本人の神社へのお詣りが現世利益主義的な側面が強いことを指摘する。   

 

日本人の頭には現実があって、前世・現世・来世がない。写生画の言葉である日本語では非現実 (考え) は語れない。だから、日本人は無哲学・能天気になっている。       

 

>明治神宮に飾られた絵馬には、さまざまな願いごとが書かれている。 >病気治癒や職場での昇進に、嵐のコンサートのチケットまで。  >宗教は、個人の信仰としてあるわけではなく、絵馬に書かれたように「願いごとがすべて叶いますように」と祈るためにある、というわけだ。   

 

信仰は非現実の内容であり見ることができない。絵馬は現実の内容であり見ることができる。見ればわかる。    

 

> またCSMは、2013年の伊勢神宮の式年遷宮の年には過去最高の1400万人もの人を集めたことに注目する。 >その理由として、特に若い世代での参詣者の増加について、将来への不安が背景にあるのではと推測する。 >伊勢神宮の神宮司庁広報課員の音羽悟氏は、20年もの不況で多くの人が目的を失い、将来について不安を感じているため「スピリチュアルな癒やし」を求めている、と同紙に述べている。  

 

参詣は流行りものですね。  

 

>◆八百万の神でもってして異国の神を受け入れる  > 米公共ラジオ放送(PRI)は、日本の土着の信仰である、八百万の神を祀る「神道」に日本人の宗教観の背景を見出している。 >PRIに詳細を語っているのは、東京都の渋谷に位置する金王八幡宮の田所克敏宮司。 >彼の言によれば、「ある日、仏陀と呼ばれる神がアジア大陸からやってきた。 >その後、キリストと呼ばれる神が船でやってきた。  >すでにいた八百万の神にもう2つ加わった、というだけのこと」。   

 

教義を無視して儀式だけを取り入れるとしたら、教義の矛盾は存在しないことになりますね。この無哲学・能天気が日本人の受容性の高さの基礎をなしていますね。        

 

>田所氏はさらに、こういった日本人の受容性の高さを、天ぷらを使って説明する。 >もともと天ぷらはポルトガルから伝えられたものだが、日本人は受け入れ、文化の一部としている。  > 田所宮司はさらに、次のように述べる。   >「人々は宗教を、何を信仰しているのかという観点ではなく、儀式の観点から見ている」。   

 

そうですね。日本人の宗教には教義がなくて儀式がある。わが国には教義の為の儀式は存在しない。     

 

>つまり、「この儀式(冠婚葬祭)はどう執り行うのか」が重要であるため、子どもが生まれれば神社にお宮参りし、結婚式はキリスト教の教会で挙げながら、問われれば即座に「仏教徒」と答える状況になっている、とPRIは論ずる。   

 

教義が無いだけその分儀式にはこだわりを見せる。だから、日本人は訳も無く保守的になる。  

日本人は思考を停止している。だから、無哲学・能天気である。その機序が欧米人には分からない。    

 

>◆荒ぶる神を受け入れ、内面の糧とする日本人  > しかし、この高い受容性が別の面で発揮されているのを、別のアメリカのメディアPBS(Public Broadcasting Service)が伝えている。 >ケンタッキー州にあるベリア大学のジェフリー・リチー准教授が、2011年の東北大震災に見舞われた人々が見せた忍耐強さを、宗教的観点から論じている。

 

日本人には意思がない。だから、無為無策で大震災を乗り切るしか外に手がない。これが日本人の忍耐強さの根源となっている。      

過去の内容は変えることができないが、未来の内容は変えることができる。しかし、それには無為無策のその日暮らしをしていては望み無しである。未来の内容を自己の意思として示すことが必要である。

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。それで、おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。この暮らしぶりで成功すると、受け売りと後追いの専門家になりますね。未来を先取りしない人は指導者としては適当でない。だから、日本には有能な指導者が育たない。  

自己の意思を示せば、当事者・関係者となる。示さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がないので、常に傍観者にとどまっている。深刻な事態に直面しても自己の序列関係のない場合には高みの見物をしている。わが国は世界の中にあって、世界に属していない。   

 

> 宗教学の准教授で、同大学のアジア研究プログラムの責任者であるリチー氏はまず、日本の『ゴジラ』やマンガ『アキラ』に見られるように、日本人の災禍に対する考えは、日本の伝統的な宗教文化に見られるような荒ぶる神としての姿に根付いている、と述べる。 >そして、本居宣長の『古事記伝』に記した「神(古事記伝では「迦微」)」についての論述を引用して、日本の神は善いものも悪いものもさまざまおり、その心も行いもとりどりであり、人の小さな知恵では計り知れないものだ、とする日本人の宗教観を示した。 > だからこそ震災が起きた時に、一神教のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の信者が持つような「震災は神の裁きなのか」という問いではなく、「震災をどう受け止めるべきなのか、震災はどう自分の内面のためにあるのか」という問いを、伝統的な宗教観をもつ日本人は抱きがちになるのではないか、とリチー准教授は問いかける。

 

そうですね。意思を考えに入れない日本人の考え方では善意も悪意もない。自然への対処法はごく自然なものになりますね。   

 

> 西洋の基準からしてみれば、信仰心がないように見え、また日本人の自覚としても宗教に対する信仰心はないとしている人でも、人智を超えたものを畏れ敬う気持ちが日本人の中にあることは、以上の3つの記事からは示されているようだ。  

 

意思というものの把握の有無が日本人と欧米人との差になっていますね。    

 

 

 

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閲覧数12 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/09/20 10:04
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