>現代ビジネス >「多様な価値観」は絵空事? 現代思想が犯している本質的な誤ち いま、求められる「価値の哲学」 > 竹田 青嗣 2022/09/23 06:00 (略) >現代思想の行きづまりを打破し、根本的に刷新する——。 >哲学者・竹田青嗣氏が、哲学のまったく「新しい入門書」であるとともに、「新しい哲学」の扉を開くための書を目指して書いたのが、現代新書の新刊『新・哲学入門』です。 >同書から、相対主義を批判し、現代哲学の挫折の本質を看破する第1章の一部をお届けします。 >相対主義の根本的な誤り >*現代思想における相対主義は、哲学の「普遍洞察」の考えを、独断論あるいは形而上学として批判してきた。 >理由は一つで、相対主義自身が、認識を、「本体」の認識かその不可能のいずれかしかないと考えるためだ。 >しかしこれは誤りである。 >人間だけが言語ゲームによって世界を描く。
そうですね。特に日本語は ‘写生画の言葉’ と言われ、現実の内容の表現に偏っていますね。 他の言語では非現実 (考え) の内容を描く可能性もあるでしょうね。
>その意味は、言語は世界を写す「鏡」ではありえず、ただ世界の「絵」を描くことができるだけだ、ということである。
言語はなくても動物は世界を写す鏡 (目) をもっていますね。つまり世界を映すためには必ずしも言語を持つ必要はないですね。
>独断論と相対主義は、そもそもこの事態への根本的な無理解から現われる。 >*たとえば、現代の相対主義はこう主張する。 >哲学は普遍認識を求めるゆえに、すなわち絶対的認識を求めるゆえに誤っているだけでなく、危険ですらある。 >むしろ、世界観と価値観の多様性こそが存在すべきなのだと。
そうですね。我々の自由ですね。世界観と価値観の多様性を認める必要がありますね。
>だがこれほど顚倒(てんとう)した考えはない。 >われわれは、現代社会において多様な価値観を必須のものと考える。 >それは正しい。
そうですね。
>しかしそもそも価値の多様性は、絶対専制社会においては許容されえないし、それゆえ存在しえない。 >むしろ、こう考えなくてはならない。 >「自由な社会」だけが多様な価値観を可能とする。 >そして、いかなる社会が多様な価値観を確保する社会となるかに答えるには、必ず普遍的な社会「原理」を必要とすると。
普遍的な社会原理は個人個人によりその内容が異なるでしょうね。
>多様な価値観があるべきだという相対主義の主張は、単なる思想上の希望、絵空事にすぎないのだ。
多様な価値観は現実に存在する真の価値観でしようね。現にその人間が存在し、その人の頭があるのですから。
>*現代哲学は哲学の本質的方法を継承できず、総じて相対主義哲学の罠に陥った。 >そのことで、現代社会について、本質的な考察をほとんど生み出すことができなかった。
本質的な考察は人人により異なるでしょうね。 各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
>ポストモダン思想がそれを象徴する。>第一に、ポストモダン思想は、現代社会を批判するのに、近代以後の「市民社会」それ自身を矛盾に満ちたもの、ある場合には人間の自由を抑圧、排除する支配のシステムとして描いた。
そうですね。
>これが最大の誤りであり、この前提によってポストモダン思想は、ただ現状の批判のみに終始して、矛盾の克服の方途をまったく示すことができなかった。
人民が各人各様に自分の哲学を作る。各人が自由に自己の哲学を発表する。議論をする。多数派支配の政治をする。: これが民主主義国の在り方ですね。 プロの哲学者が自己の哲学を作る。人民に他人の哲学の受け売りを学ばせる。権威主義者が人民に自己の政治哲学を垂れる。: これが権威主義国の現状ですね。 チャーチルの名言: 民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。
(略)
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