>東洋経済オンライン >「デカルトの二元論」が資本主義を台頭させた理由 生態系の危機といった問題の根底にある存在論 >ジェイソン・ヒッケル の意見 • 昨日 13:00 >環境破壊、不平等、貧困……今、世界中で多くの人々が、資本主義が抱える問題に気づき始めている。 >経済人類学者のジェイソン・ヒッケル氏によれば、資本主義は自然や身体をモノと見なして「外部化」し、搾取することで成立している、「ニーズを満たさないことを目的としたシステム」であるという。 >そしてヒッケルは、「アニミズム対二元論」というユニークな視点で、資本主義の歴史とそれが内包する問題を白日の下にさらし、今後、私たちが目指すべき「成長に依存しない世界」を提示する。 >今回、日本語版が4月に刊行された『資本主義の次に来る世界』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。 >資本主義を支える存在論(オントロジー) >今後わたしたちが進むべき道を見つけるには、まず、わたしたちがどのように経済成長という要求に組み込まれているかを理解する必要がある。 >それには資本主義の歴史を辿り、その機能を支えるロジックと、資本主義がどのように全世界に広まったかを理解しなければならない。 >その途中で、思いがけない問題が関わっていることを知るだろう。 >資本主義の成長の軸になっている採取のプロセスは、最終的にはある種の存在論(オントロジー)に依拠する。 >根本的な問題はそこにあるのだ。 >現在の資本主義社会に生きる人々は、人間社会は他の生物の世界とは根本的に異なると教えられてきた。
そうですね。人間は言語を持っていますから。自己の考えを表示できますね。
>人間は「自然」とは切り離された優れた存在で、精神と心と主体性を備えているが、自然は不活発で機械的な存在である、と。
アニマルは言語が無いので、ろうあ者の境遇に甘んじていますね。
>この世界観は二元論と呼ばれる。
残念ながら、ろうあ者の尊厳が護られていませんね。
>プラトンからデカルトに至る歴代の思想家から受け継いだ考え方だ。 >彼らは、人間には自然を支配し利用する当然の権利がある、と説いた。
そうですね。人間の独りよがりでしたね。
>しかし、わたしたちは元々そう考えていたわけではなかった。 >6世紀に資本主義に進む道を切り開こうとした人々は、全体論的な世界観を打ち壊し、二元論者になるよう市井の人々を説得したり強制したりしなければならなかった。 >二元論は成長のために生命を犠牲にすることに利用されてきたので、現在の生態系の危機に対して深いレベルで責任がある。
そうですね。他の生物に迷惑がかかりましたね。人間の責任ですね。
>精霊信仰(アニミズム)の世界観 >しかし二元論はわたしたちが利用できる唯一の考え方ではない。 >人類学者たちは、歴史の大半を通じて人間は二元論とはまったく異なる存在論、すなわち、広義に精霊信仰(アニミズム)と呼ばれるものに依拠してきたことを、ずいぶん前から指摘している。 >長い年月、人間は他の生物界との間に根本的な隔たりを感じていなかった。
そうですね。人間は自然の中に埋没していましたね。
>川、森、動物、植物、さらには地球そのものと相互依存の関係にあると考えていた。 >それらを人間と同様に感情を持ち、同じ精神によって動くものと見なし、場合によっては、親類のような近しさを感じていた。 >今もアマゾン盆地、ボリビアの高地、マレーシアの森林に生きる人々には、この考え方が脈々と伝わっており、彼らは人間以外の存在――ジャガーから川まで――を「自然」ではなく親類と見なし、関わりあっている。 >世界をそのように見るようになると、行動は根本的に変わる。 >すべての生き物は人間と道義的に同等だという前提から始めれば、それらから何かを簡単に奪ったりできなくなる。
そうですね。我々は慎重にならざるをえませんね。
>人間の利益のために自然を「資源」として消費することは、道義的に非難されるべき行いであり、奴隷制や人喰いに等しい。
そうですね。日本人は昔から奴隷制や人食いに反対ですね。
>そうする代わりに互恵の精神を持ち、相互扶助の関係を築かなければならない。 >少なくとも、受け取る以上のものを与える必要がある。
自然保護が必要ですね。
>この論理はエコロジー的には価値があるが、資本主義の中心的ロジックに真っ向から対立する。 >そのロジックとは、奪うこと。 >さらに重要なこととして、与えるより多くを奪うことだ。
自然の利用には限界がありますね。
>このロジックは成長のメカニズムの土台になっている。 >かつて啓蒙思想家はアニミズムを、時代遅れで非科学的だとして軽蔑した。
日本人の宗教 (神道) には教義がありませんね。迷信ですかね。儀式があって内容が無い。
>さらには資本主義拡大の障壁と見なし、懸命に排除しようとした。 >しかし現在では、科学がアニミズムに追いつきつつある。 >生物学者は、人間は孤立した生き物ではなく、膨大な数の微生物を体に宿らせ、生理機能をそれらに依存していることを発見した。 >精神科医は、植物に囲まれて過ごすことは精神の健康に欠かせず、ある種の植物が複雑なトラウマを癒すことを学んだ。 >生態学者(エコロジスト)は、木は不活発などころか、互いとコミュニケーションを取り、土壌中の目に見えない菌糸ネットワークを通じて養分や薬用成分を分かち合っていることを知りつつある。 >量子物理学者は、バラバラに見える粒子どうしが、非常に離れていても複雑に絡みあっていることを語る。 >地球システム科学者は、地球そのものが超生物のように活動していることを発見した。 >これらの知見はすべて、生命の網における人類のポジションについて、わたしたちの考え方を変え、新しい存在論(オントロジー)への道を開いた。 >見直すべき人間と世界との関係 >地球が生態系の破局へと突き進んでいる今、わたしたちは他の生物界とのつながりという観点から人間を見ることを学び、遠い昔に忘れてしまった神秘を思い出し始めている。 >祖先のささやきのようなその秘密は、わたしたちの心の中でいつまでも消えようとしない。 >20世紀に環境主義者が唱えていた古めかしい呪文とは大違いだ。 >環境主義者は「限界」、乏しさ、個人的厳格主義という言葉で自らの考えを語ろうとした。 >しかし、限界という概念は、最初からわたしたちを間違った方向へ向かわせる。 >その概念は、自然は人間と切り離された「外」に存在し、必然的に人間と対峙することを前提とする。 >この種の考え方は、人間を苦境に陥らせた二元論的存在論から生まれた。
そうですね。我々人間は自然の子ですね。
>今わたしたちが必要としているのはまったく別の概念だ。 >それは限界ではなく相互関連性であり、他の生物との親密さを取り戻すことだ。
そうですね。
>厳格主義ではなく喜びと友好と楽しさだ。 >乏しさではなく大きさであり、人間のコミュニティ、言語、意識の境界を広げることなのだ。 >変化を求められているのは経済だけではない。 >世界と人間の位置づけについて、わたしたちの見方も変えていく必要がある。
そうですね。我々人間には持続可能な発展が必要ですね。
>(翻訳:野中香方子)
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