>読売新聞 >東大前刺傷事件、被告の元男子高校生の夢は「貧しい人を救う医師」…高校受験に失敗し学歴に固執して自壊 >読売新聞によるストーリー >・12時間 > 東京都文京区の東大前で昨年1月、大学入学共通テストの受験生ら3人を刺したとして、殺人未遂罪などに問われた当時17歳の元男子高校生(19)は元々、貧しい人を救う医師を志していた。 >東京地裁で開かれた裁判員裁判では、夢をかなえるため猛勉強に励んだ末、学歴に固執し、自壊した被告の姿が浮き彫りになった。 >(糸魚川千尋)
学歴はそれほど大切なものですかね。
>■「醜態をさらした」 > 「東大理3に行けないなら死んだ方がいい。 >人を殺して人間として最悪になれば、自責の念から死にきれると思った」。 >先月17日の被告人質問で、被告は犯行の理由をそう説明した。
‘東大理3’ と ‘貧しい人を救う医師’ がそれほど直結するものですかね。
> 事件が起きたのは昨年1月15日朝。 >2日間にわたって行われる大学入学共通テストの初日だった。 > 自宅のある名古屋市から夜行バスで上京した被告は、試験会場の東大前で通行人の男性(当時72歳)と受験生の男女2人(同18歳と17歳)の背中を包丁で刺し、重軽傷を負わせるなどしたとして起訴された。 > 物静かだが、友達とテレビゲームやカードゲームをしたり、公園に行ったりして遊ぶ――。 >被告人質問での説明などによると、小学生の頃の被告は、どこにでもいる「普通の子」。 >だが、中学で勉強にのめり込み、読むのも描くのも好きだった漫画を断(た)った。 >友達と疎遠になり、勉強中に眠気を覚ますため、手の甲をカッターで切ったこともある。 > そこまでしたのは、将来の夢のためだった。 >中学2年の時にテレビで見た、発展途上国で活動する医師の特集番組。 >「自分も貧しい国の人を救いたい」と思った。 > 中学ではめきめきと成績が伸びていた。 >医学部に進むため、高校受験では複数の有名校を受けたが、第1志望だった愛知県外の私立高校に落ち、挫折を味わった。 > 「醜態をさらした。挽回してやる」。 >県内の進学校に入り、東大で医学部に進める理科3類を目指した。 >自己紹介で「理3志望」を公言し、1日14時間も勉強する生活を続けた。 > 1年時の成績は「右肩上がり」だった。 >ところが、2年になり、他の生徒も勉強に力を入れるようになると急落し、担任らから他大の医学部や文系転向を勧められた。 >心の底では妥当だと思いつつ、「理3を諦めたら、周りに負け犬だとバカにされる」と聞き入れず、自らを追い詰めていった。
世俗の序列順位に囚われていますね。
>■偶然にも、東京に到着する日が… > 事件2か月前の2021年11月中旬頃からは、自殺を考えるようになっていた。 >包丁を腹にあてたり、銃を作ろうと材料を集めたりしたが、怖くてできなかった。 > 年が明けると「現状から逃れたい」と考え、東京行きの夜行バスのチケットを買った。 >「自分を知る人がいない所に行き、やり直したい」。 >当初はそう思ったが、チケットを見ているうちに、到着日が偶然にも共通テストの日だと気づいた。 > 「この日に死ねたらいい。 >人様に迷惑をかけたら、踏ん切りがつく」。 >東大の象徴である安田講堂前で自殺するため、近くで無差別に人の命を狙う。 >そんな犯行を思い描き、事件前日の昨年1月14日、登校するふりをして家を出た。 >■声を震わせる母親 > 裁判には被告の両親が証人として出廷した。 >当時、警察に行方不明届を出していた両親は、テレビの速報などで事件を知り、膝から崩れ落ちたという。 > 両親は医師の家庭でもなく、学歴へのこだわりも特段なかった。 >事件前に勉強のペースの落ちた息子を見て、むしろ「心に余裕ができたのかな」と喜んでいた。 > 先月16日の証人尋問で母親は「人生に悲観していることに気づいてあげれば、こんなことは起きなかった」と声を震わせた。 >父親は事件で軽傷を負った受験生の親と面会したことを明かし、「加害者である息子を心配してくれ、頭の下がる思いだった」と話した。 > 「人としてやってはいけないことをした」。 >同27日の最終意見陳述で謝罪した被告は、「虚栄心や功利、学歴で自分を押し殺したり、自分の価値を決めたりせず、素直に生きていきたい」と言って涙を流した。
日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。
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