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2023年11月30日(木) 

 

>NEWSポストセブン   >【逆説の日本史】「兵站部門の軽視」の帝国陸軍はなぜ「白米」こだわったのか   >NEWSポストセブンの意見   >2時間  

(略)   

> なぜ、日本人は軍隊の「兵站(補給)部門」をまったく評価しなかったのか?   

> じつは、この問題に対する明確な解答は無い。   

>それどころか一般的には、この「兵站部門の軽視」が日本軍の宿痾つまり「不治の病」であったという認識も乏しいように思う。   

> 軍隊は戦うことが仕事である。   

>戦争を実際にやってみて勝利の障害になった点が指摘されたら、当然世界各国どこの軍隊でもそれを改めようとする。   

>たとえば、日本は島国でありしかも江戸時代は鎖国をしていたために、馬が近代的な戦闘や輸送に適さない在来種しかいなかった。   

>日清、日露戦争の時代には列車はあるがトラックなどは無い。   

>補給には強壮な馬が欠かせなかったのだが、欧米の優秀な馬に対して日本の軍馬はかなり見劣りするものであった。   

> このことは乗馬をたしなんでいた明治天皇も痛感したようで、その鶴の一声で日露戦争直後の一九〇六年(明治39)、どの省庁にも属さない独立した馬政局という行政組織が作られた。   

>トップは局長では無く長官で、内閣直属の組織だ。   

>きわめて異例のことで、もちろん目的は「軍馬の改良」である。   

>普通の国では「馬匹の改良」は、作物の品種改良と同じく農林水産を所管する省庁の仕事だ。   

>当然日本でも農商務省が担当すべきだったのだが、やはり「明治天皇のお声掛り」だったという意識は特別なものだったのだろう。   

>「馬匹の改良」はその後も陸軍が主導となって行なわれ、陸軍出身の桂太郎が首相となった時代に、それまで禁じられていた「馬券を買って勝ち馬に賭ける」近代競馬の開催が認められた。   

>日本には古くから神事として馬の競走はあった。   

>競馬といい流鏑馬などもその一環だが、神事であるがゆえにそれを賭博の対象とすることは、少なくとも公式には認められていなかった。   

> しかし、桂内閣では日本の軍馬の改良を進めるために、業界の活性化と資金の流入を可能にする近代競馬の開催を認めたのである。   

>つまり国や自治体が開催する「公営ギャンブル」でもっとも古い歴史を持つ競馬は、日本においてはそもそも軍馬の改良を目的として始められたものだった。   

>他の公営ギャンブルである競輪、ボートレース、オートレースには無い天皇賞が競馬にあるのは、そうした歴史的経緯があるからだ。   

> このように、兵站部門の「手段」であった馬は外国との差が指摘されるとただちに改良する方策が練られたのに、兵站部門自体の改善はまったく行なわれなかった。   

>誰が見ても改めなければならない点は、兵站部門の兵士を実際には戦闘に参加しない人間として蔑視する傾向であり、それは素人から見ても一目瞭然だったから、代議士川原茂輔は「じつに誤った考えである」と強く警告した。   

 

兵站は武士道には入っていないからですね。兵站は軍人の興味の対象外でしたね。   

 

> にもかかわらず、兵站部門の功労者に勲章を与えるとか優秀な軍人を兵站部門に移動させるとか、方策はいくらでもあったと思うのに、そういうことはまるで実施されなかった。   

>軍馬の改良は進められたのに、兵站部門そのものの改善はなされなかったのだ。   

>きわめて不思議な話であることはおわかりだろう。   

 

武士にとって馬は兵器ですね。  

 

> この謎を解くためには、日本陸軍が最後の最後まで改良しなかった他の欠陥と比較してみるという方法がある。   

>たとえば、すでに述べたように陸軍は一九〇五年(明治38)に採用した小銃(三八式歩兵銃)を、一九四一年(昭和16)に始まった大東亜戦争でも使い続けた。   

>この間、日露戦争、第一次世界大戦、支那「事変」、ノモンハン「事件」等多くの対外戦争があり、その欠陥が認識されていたにもかかわらず、である。   

> もちろんその背景には日本の工業生産力の乏しさがあるのだが、もっとも大きな原因はそれが「菊の御紋章」入り、つまり「天皇ブランド」の「下賜品」であったことだろう。   

>兵器に限らず工業製品はユーザーが使ってこそ、初めて「使い勝手」がわかるものである。   

>それが小銃なら「引き金が引きにくい」とか「照準が合わせにくい」とか、苦情が寄せられることによってメーカー側も初めて欠陥がわかり、結果的に製品は改良されていくことになる。   

>ところが「天皇ブランド」ではこれができない。   

>「畏れ多くもかしこくも陛下からいただいたもの」だからだ。   

>「使いにくいとは何事だ、お前の練習が足らんのだ」ということになる。   

>だから改良は遅れに遅れる。

 

そうですね。刀の進歩のようなものですぐには考えられないことですね。    

 

> さらに陸軍のもう一つの欠点と言えば、「飯盒炊爨」である。   

>これも前に「八甲田雪中行軍遭難事件」のところで書いたが、そもそも雪中行軍なのに飯盒炊爨で食事をとろうとしたことが大量遭難の大きな原因だった。   

>いや、雪中行軍だけでは無い。   

>酷暑のジャングルでも同じことで、飯盒炊爨をやるにはカマドと清潔な水および大量の燃料を必要とする。   

>時間と労力が掛かるし、炊事の煙は敵に発見されやすい。   

> キャンプや物見遊山に行くのでは無い、戦争に行くのだから軽く栄養価がありすぐに食べられる保存食を兵糧として持って行くのが当然のはずだ。   

>ビスケットは酷寒の大地でも酷暑のジャングルでも変質せず、しかも水無しで食べられカロリーもある理想の携行食だ。   

>前にも述べたように、幕末には日本に伝わっており徳川慶喜も食べたことがある。   

>つまり、その存在は周知の事実だった。   

> また、それ以前から日本には干し柿や干し魚といった軽量の保存食があった。   

>これからは飯盒炊爨などやめてそうした食料を支給する、という形で軍そのものを効率的機動的にすることはできたはずなのに、陸軍は一九四五年(昭和20)の崩壊までそれをしなかった。    

> 兵站の軽視が大東亜戦争におけるガダルカナルの戦い、インパール作戦などで多くの餓死者を出したこともすでに述べたが、じつはガダルカナルのようなジャングル戦では餓死体から携行していたコメが発見されることが珍しくなかった、という。   

>生米はそのままでは絶対に食べられない。   

>関ヶ原の戦いのときに、徳川家康が生米は絶対に食うな、腹を壊すから、と注意したという話も伝わっている。   

>だから餓死した兵士たちは結局食料を携行していたのに食べることができずに死んでしまったというわけだ。   

>こんなバカな話は無いのだが、どうしてそんなことになってしまったのか?   

> この点、つまり「なぜ帝国陸軍はかくも白米(飯盒炊爨)にこだわったのか?」についても、「なぜ帝国陸軍は兵站をかくも軽視したのか?」と同じく、私の知る限り先行する研究は無い。   

>しかし、この『逆説の日本史』で何度も強調しているように、合理的論理的に考えて絶対あり得ないようなことを組織あるいは個人が実行している場合は、その理由が宗教に基くことがほとんどである。   

>この場合もそう考えるのが妥当で、その宗教はなにかといえば、やはり「天皇教」、平たく言えば天皇を信仰の対象とする宗教だろう。    

 

天皇教は序列メンタリテイの産物ですね。   

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。  

 

(略)   

> 二つの難問のうち、「なぜ帝国陸軍はかくも白米(飯盒炊爨)にこだわったのか?」のほうがわかりやすいと思うのだが、いまでも皇室のかかわる公式行事のなかには、農耕とくに稲作にかかわる「神事」が多いことをまず認識すべきだ。   

>「御田植」や「新嘗祭」「大嘗祭」などである。   

>また天皇の祖先神であるアマテラスは、自分の孫ニニギノミコトをオオクニヌシから「献上」されたクニに「天下り」させるにあたって、クニの名を「豊葦原瑞穂国」と改めた。   

>その意味は「《神意によって稲が豊かに実り、栄える国の意》日本国の美称」(『デジタル大辞泉』小学館)である。   

>つまり、日本人はこういう経緯からコメを単なる食物では無い、と考えるようになったのではないか。   

> 陸軍は明治の創成期において、就職先の無い農民の次男坊、三男坊を入隊させるために「軍隊に入れば腹いっぱい白米が食べられるぞ」と宣伝した。   

>それが白米に対するこだわりになり、「脚気の原因は白米食で、玄米を増やせば病を減らせる」という経験則が無視され、病気の克服という点ではきわめてマイナスになった。   

>『逆説の日本史 第二十六巻 明治激闘編』で述べたとおりだ。   

> しかし、それは戦場でも白米を常食とするため飯盒炊爨にこだわった原因では無い。   

>戦争の無い平時には、いくらでも兵営で白米食を出すことができるからだ。   

>だから、戦場では飯盒炊爨はきわめて非効率だから別の保存食に切り替えると言えば、次男坊、三男坊たちも決して文句は言わなかっただろう。   

>つまり、理由は別にある。   

> ところで、みなさんは「御神饌」と書かれた食品(コメ煎餅や昆布)を食べた経験は無いだろうか?    

>商品では無い。   

>氏子などに神社側から無料で提供される食品である。   

>なぜ無料かと言えば、それは「神饌」という言葉の意味が「神様への御供え物としての食品(稲、米、酒など)」であり、その「おさがり」だから「『御』神饌」になるわけだ。   

> 大日本帝国の時代、天皇は神の直系子孫であると教育で教えていた。   

 

序列社会では直系が権威を持ちますね。   

 

>だから大嘗祭も新嘗祭も、現在と違って完全な神事(宗教行事)である。   

>大嘗祭は即位の時一回限りだが、新嘗祭は毎年新しいコメを神に供え天皇がその「御神饌」を食する儀式だ。   

>その「供物」であるコメはその年大日本帝国で収穫したコメの「代表」だから、国民が食するコメもすべて「御神饌」であるということになる。   

>つまり、コメとは神の霊力によってもたらされたスーパーフードということになる。   

 

餓死も免れ得ると良いですね。  

 

> この信仰が、陸軍が最後まで飯盒炊爨にこだわった最大の理由だろう。   

>むしろ敵と戦う戦場でこそ、食料はその「スーパーフード」でなければならなかったということだ。   

>それ以外にこの「非効率」の理由を合理的に説明することは不可能である。   

>(第1401回に続く)   

>【プロフィール】   

>井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。   

>1954年愛知県生まれ。   

>早稲田大学法学部卒。   

>TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。   

>本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。   

>現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。   

>※週刊ポスト2023年12月8日号   

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数55 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/11/30 16:44
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