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2023年11月30日(木) 

 

>東洋経済オンライン   >池上彰が考える「中学受験の成功」より大切なもの これからの時代を「生きる力」を手に入れる   >池上彰の意見   >・2時間   

>冬の訪れと共に、受験シーズンが近づいてくる。   

>都市部では中学受験に臨む小学生も少なくないが、ジャーナリストの池上彰さんは「幸せな人生を送るために必要なのは、受験の成功ではなく教養を身につけることだ」と語る。   

>中学受験をする・しないにかかわらず、『池上彰のこれからの小学生に必要な教養』を上梓した池上さんが考える、子どもたちにぜひ身につけてほしい「教養」とは、一体どんなものなのだろうか。   

>前回:『池上彰さんが考える「教養」がある人とない人の差』   

>中学受験をするのはひとにぎりの子どもだけ   

>わが子が小学生だと、「中学受験」という言葉に心がざわつくことがありませんか?   

>中学受験に臨む子どもはとりわけ都市部に多く、地域によってはクラスのほぼ全員が受験するなどという小学校もあります。   

>そういう環境に身を置いていると、親も子も中学受験は当然するものという気持ちになりがちです。   

>公立中学では不安だ、人生の選択肢がせばまってしまう、と考える方もいるかもしれません。   

>実際には、中学受験をするのはひとにぎりの子どもです。   

>文部科学省の学校基本調査(令和4年度)によれば、全国で国立・私立中学に通う子どもは全体の約8.5%。   

>受験に失敗して公立中学へ進学しているお子さんもいるわけですが、日本では90%以上の子どもが地元の公立中学に通っているのです。   

>この子たちがみな不安な教育環境に置かれ、人生の選択肢が限られているとは考えにくいですね。   

>中学受験をするかしないかは、それぞれのご家庭で決めることです。   

>ただ大前提として、中学受験組は全体から見れば少数派だということは、知っておいていいと思います。   

>親が中学受験を勧めるのは、突き詰めればわが子に幸せな人生を送ってほしいからでしょう。   

>否応なく多くの知識を蓄えることになる受験勉強は、確かにその一助になるかもしれません。   

>しかし、中学受験をする・しないにかかわらず、意識しなければ身につきにくいものがあります。   

>それが「教養」です。    

>教養とは単に知識があることではなく、知識を生かしてよりよい行動が取れるということです。   

>ものごとを深く理解しようとする気持ち、自分なりの考えを持とうとする姿勢がなければ、教養は身につきません。   

>どんなに知識があっても、正論で思いやりなく相手を論破する人に教養があるとは言えないのです。   

>「正しさ」を伝えて納得してもらうためには、知識だけでなく、相手の意見を受け入れる度量の広さや適切な言葉選びなど、さまざまな能力が必要です。   

>知識の運用力とも言えるこの力こそが、教養です。   

>わかりやすい言葉を疑ってみるのが教養   

>アメリカのトランプ前大統領は、それまでの政治家とは全く違う言動で、あまり政治に関心のなかった人たちを惹きつけました。    

>彼の言葉はとてもわかりやすい。   

>「アメリカが一番だ」というワンフレーズで、世の中の問題がすべて解決するようなイメージを打ち出しました。   

>でも実際はそううまくはいきません。   

>国内の問題も諸外国との関係も、「アメリカが一番」だけでは解決できないことがたくさんあります。   

>人は、わかりやすい言葉につい飛びつきたくなります。   

>しかしそこで「ちょっと待てよ」と立ち止まって考えられること、注意深く冷静に対応できること。   

>教養とはそういうものだと思います。   

>戦争、貧困、気候変動、ジェンダー問題、AIをどう使いこなしていくかなど、解決が難しいテーマがたくさんある時代です。   

>そういう世の中にこれから巣立っていく子どもたちに教養を求める傾向は、実は中学受験にも現れています。   

>近年は、公立の中高一貫校が増えています。   

>私立に比べると経済的な負担が少ないこともあり、たいへん人気があります。   

>東京にも都立高校の附属中学がいくつかありますが、受験問題を見ると単純に知識の量を問うことはしていません。   

>中学は義務教育なので「学力試験」をしてはいけないことになっているからですが、統計データから読み取れる結論を記述させるなど、知識を応用して全体を俯瞰する、分析する、自分の考えを述べるといった能力をはかっています。   

>こうした傾向は公立の中高一貫校だけでなく、一部の私立中学にも見られます。   

>特に老舗と言われるような私立中学では、知識の量を問うだけではない非常によく練られた問題が出されています。   

>これからの時代は、自分で調べ、考え、そこからまた知識や考えを深めていける人材が必要だということのあらわれなのでしょう。    

>そして、そういう能力を求められているのは、中学受験をするひとにぎりの子どもに限ったことではありません。   

>少し前の話題ですが、バスケットボールのワールドカップで日本がオリンピック出場を決めましたね。   

>その時の試合相手は、カーボベルデ共和国でした。   

>この国のことを知らない人は多かったと思いますが、そんな時こそお子さんにぜひ働きかけていただきたい。   

>カーボベルデってどこにあるのかな?    

>どんな国なんだろう?    

>おや?ベルデってポルトガル語で緑(VERDE)という意味なんだって。   

>だから「東京ヴェルディ」(ヴェルディはVERDEから生まれた造語)のチームカラーは緑なのか!――親子でそんな話をしながら知識を広げていく。   

>ものを知ることは面白いし、そこからさまざまな発見もあるでしょう。   

>考えを深めるきっかけは暮らしのそこここにあり、教養に結びついていきます。   

>子どもたちにはぜひ教養を身につけてもらいたいし、親御さんはわが子に教養を身につけるように導いてあげてほしいと思います。   

>受験生の親に必要な資質とは?    

>ものごとを掘り下げて考え、自分なりに行動する姿勢を身につけているかいないかで、学びの質はずいぶん違ってきます。   

>深い学びに基づく教養は、思いがけない災難や人間関係のトラブルに見舞われた時に、解決策を見いだす力になるはずです。   

>教養とはいわば、生きる力です。   

>教養は、困難な時に助けてくれる人や情報にたどりつく道しるべになります。   

>教養がある人は周囲の信頼が厚く、自己肯定感も高くなる。   

>幸せな人生を送るための、心強い武器になってくれるのです。   

>中学受験は、教養を身につけるきっかけになり得るでしょう。   

>その一方で、親の期待に応えようとして頑張ったのに不合格だったりすると、子どもは劣等感を抱いて長く苦しむことにもなりかねません。   

>過大なプレッシャーをかけず、うまくいかなかった時に子どもにコンプレックスやトラウマが残らないような心配りができる。   

>中学受験を選択するなら、親の側にもそういう教養が求められているのだと思います。   

 

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)    

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)    

 

アメリカ人はたいていの神学者、心理学者、導師から、自分をつくった神も二千年の制度も死んだといわれ、「自分自身になれ」を必死になって探求する。

日本人には現実 (事実) の内容しかない。日本語の文法には時制 (tense) がないから非現実 (考え・哲学)の内容を示す文章ができない。だから思考停止に陥っている。真理の探求の必要はない。現実は見ればわかる。

日本人の処世術 (損得勘定) は説く。「規則を守りながら、自分自身の世間 (序列社会) の中で、できるだけ自分と自分の家族の序列順位を上げよ。将来のために子作りをしておけば、老後は安心できる。それだけやっておけばこの世は極楽といえる」。アメリカ人はこの種の「具体的なものごとだけ」の世界観にぶつかると、ある羨望選を持たされる。アメリカ人には現実 (事実) と非現実 (考え・哲学) の内容があるので、具体的な物ごとだけに考えを絞ることはできない。彼らには雑念が多すぎるである。  

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数49 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/11/30 20:30
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