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2023年12月17日(日) 

 

 

>東京新聞   >「絶対不戦の立場に立ち、不戦の意思を守り抜く」学徒出陣から80年、わだつみ会が声明   >19時間   

> 太平洋戦争中の学徒出陣から80年に合わせ、日本戦没学生記念会(わだつみ会)は16日、東京都文京区で「不戦のつどい」を開き、「不戦を守り抜く」とする声明を発表した。   

>世界で軍事侵攻が相次ぐ中、会員らは平和への思いを改めて胸に刻んだ。   

>◆ウクライナ、ガザ…世界の情勢も踏まえて   

> 会は1950(昭和25)年の結成以来、学徒出陣から10年ごとに声明を発表してきた。   

>今回はロシアのウクライナ侵攻や、パレスチナ自治区ガザへのイスラエル軍侵攻などの情勢を踏まえた。   

>敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を可能にした安保関連3文書の撤回や、改憲反対を明記した。   

 

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967年 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領) 

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相)   

 

> 冠木(かぶき)克彦理事長が声明を発表。   

>「いかなることがあろうと絶対不戦の立場に立ち、不戦の意思を守り抜くことを訴える」と一節を読み上げた。   

 

‘自分さえ良ければ’ の態度では戦争はなくならないですね。戦争には攻めて来る相手国があります。相手を納得させ停戦に持ち込む理屈はぜひとも必要ですね。そうでなければ戦争はやまらない。      

 

> 会理事の安川寿之輔(じゅのすけ)・名古屋大名誉教授が「学徒出陣の歴史的意味を考える」をテーマに講演。   

>「ドイツやイタリアに比べ、日本の戦争責任への意識が希薄なのはなぜかを考える必要がある」と問題提起した。   

 

そうですね。    

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)   

日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。兎角この世は無責任となる。   

意思のある人間には加害者意識がある。さらに高じて罪の意識に苛まれることもある。印欧語族には地獄がある。地獄とはこの世の地獄の事ではない。病める魂の救済を必要とする本当の地獄である。         

意思の無い日本人には被害者意識だけがある。わが国には戦争の犠牲者ばかりが存在する。一億人の無意思の振舞が戦争を拡大させていた。これでは平和は得られない。われわれは深く反省しなくてはならない。        

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

> 学徒出陣は兵力不足に伴い43年、大学生の徴兵猶予を停止し、戦地に動員した措置。   

>会員は遺族も含め現在100人で、集会にはオンラインを合わせ約80人が出席した。     

>(渡辺聖子)   

 

我々日本人には社会の木鐸が必要ですね。わが国のジャーナリストはその目的を果たせるか。      

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

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閲覧数141 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/12/17 21:05
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