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2024年03月30日(土) 

 

(略)

>アメリカの学生との対話で感じた想い   

>10年以上前のことですが、アメリカ人の学生とこんな会話がありました。   

>その学生は日本語を学び、日本を訪れたときに広島の原爆記念館を訪ねたそうです。   

>そこで日本人が「こんなことをしたアメリカ人は絶対に許せない」と言っていたのを聞き、それに反感を覚えたというのです。   

>「アメリカがあのタイミングで原爆投下して、どれだけ破壊力があるかを世界中に知らしめられたことで、冷戦中の核兵器使用が防がれた。   

>世界の滅亡を避けられたじゃないか。   

>大体、日本は被害者なのか。   

>ユダヤ人大虐殺をしたドイツと連盟を組んで、他のアジアの国にもひどいことをしたじゃないか。   

>それでいて第二次世界大戦といったら原爆投下の被害ばかり語るのっておかしくない?    

>そもそも戦争中っていろんな国がめちゃくちゃひどいことをしたわけだから、日本が、日本が、って核兵器についてばかり言うのはおかしいと思う」   

>その場にいた日本人は私 [内田舞さん] ひとりだったので、とても孤独な状況でしたが、私は勇気を出してこう発言しました。   

>「日本が他国にした酷いことはもっと語られなければならない。   

>戦時中、日本国政府が日本国民に発したメッセージの問題に対しても、もっと学ばなければいけないことはたくさんある。   

>日本国政府が当時、国際政治の中でよくない判断を下したことも間違いない」   

>さらに続けてこう言いました。   

>「でも、それでも私は、日本から『Never Again(二度と繰り返さない)』というメッセージは発し続けなければならないと思う。   

>誰かの責任だということは簡単だけど、それだけが注目されるべき問題ではない。   

>日本に原爆が投下されたのは『冷戦での使用を防ぐための投下』というような、核戦争や核兵器についての議論を『理論的には』と、実体験から隔離した机上の空論のように語るのは良くないことだと思う。   

>実際、原爆投下後のヒロシマやナガサキでどれだけの人がどのように亡くなったのか……。    

>熱波で瞬間的に消えてしまった命、爆風にとばされた人、ガラスのかけらが体中に刺さった人、皮膚がとけ落ちてしまった人、ひどい火傷で川に飛び込んで亡くなった人、白血病で血を吐きながら亡くなった人、親を亡くした子どもたち……。もっともっと様々な生き様がそこにあり、その人々のストーリーなしには核兵器は語られるべきではない。   

>それがNever Againに繋がると思う」   

>さらに、同じ会話の中で、アメリカ人の大学生から「9.11とカミカゼ特攻隊を比べるのを嫌がる日本人がいるのもおかしい」という発言もありました。   

>私は「航空機で突進する、という点で、9.11のテロリストとカミカゼ特攻隊の類似点はわかる。   

>そして戦争中ではないときに、一般市民を無差別殺人した9.11のテロリストと特攻隊の加害は違う、という人がいるのもわかる。   

>でも、何よりも『カミカゼ』という言葉でしか特攻隊のことを知らずにイメージするものと、実際の人のストーリーを通して抱くイメージは全く違うものだと思うよ」と話しました。   

>それぞれの立場で感じ方は違う   

>私は、両親が以前、鹿児島県にある「特攻の町」知覧を訪れたときに買ってきた本がとても印象的だったので、アメリカにも持って来ていました。   

>私は彼らにその本を見せ、そこに掲載されている、出陣前に親や好きな子宛に書いた特攻隊員の手紙を訳して伝えました。   

>「今更だけど読みたい本」の題名を綴った手紙、特攻への恐怖を綴った手紙、好きな子への想いを綴った手紙……。   

>写真を見るとまだあどけない10代の思春期の子どもの特攻隊員もいたことを伝えました。   

>私の発言を聞いていたアメリカ人の友人達は、「単なる敵国のクレイジーな戦略だとしか教わってこなかったが、こんなに若い子たちだったなんて知らなかった……。   

>こんな子どもの兵士が、心の中では怖いと思いながら飛んでいたなんて考えたこともなかった」「舞が話してくれなかったら一生知らなかったと思う」とさまざまな感想を伝えてくれました。   

>このとき、日本人が私ひとりだったこともあり、日本の人のストーリーをここで語れるのは私しかいないという重圧と、だからこそ湧く使命感を感じ、「わかってもらえるだろうか」と不安を抱えながら、私なりの言葉で伝えたのですが、学生たちの優しい言葉を受けて、なんだかわからないような感情が溢れてきて、皆の前で泣いてしまいました。   

>このときの自分の言葉には何も後悔はありませんが、実はこの話には続きがあります。   

>後日、とても仲が良いシリア人とスペイン人のハーフの友人に「学生たちとこんな対話があったんだよ」と話すと、彼は「僕は9.11のテロリストと日本の特攻隊の違いはわかるけど、どちらも不道徳で腐敗した国家や権力の下で犠牲になった若者だったという点は同じなのではないかと思う」と、ちょっと怪訝な顔で言ったのです。   

>この言葉を聞いて、私はシリア人である彼にとって、9.11にまつわる話題をアメリカで語ることがいかに居心地の悪いものであるか、そして同時多発テロだけでなく、実際内戦中のシリアで何が起きているのか、それが一般市民にとってはどのような経験なのか、そういった母国を持つ彼にとってこの話題はどんな思いなのか、といったことを考えずに話してしまったなと、ハッとしました。   

>私が謝ると、その場にいたもう一人の友だちが「同じことを話しても受け取り方が違うこと、またその背景にハッとすることや、『やっちゃった』という体験を通して、私たちの中で理解や共感が生まれるんじゃないかな」と語ってくれました。

>確かに、互いの理解を深めるためには、対話を重ね知ることがなければ、理解や共感は生まれません。   

>とても大事な言葉をもらったと感じました。   

>そう話してくれた友人はその後国境なき医師団に入り、シリアから亡命した難民の精神科医として活躍しました。   

>未だに仲の良い、尊敬している友人です。   

>体験した人たちの声がいかに大事か   

>私は今年『ソーシャル ジャスティス小児精神科医、社会を診る 』という本を書きましたが、その中で第6章に「ベトナム帰還兵との対話 ThemとUsは簡単に分けられない」というタイトルで、私がイエール大学の研修医だったときに受け持った患者さんとの対話を綴りました。   

>ベトナム戦争から帰還したアメリカ兵である患者さんは、ベトナムでのトラウマからアジア人を心から嫌う人種差別主義者になってしまい、そしてPTSDの治療のために来た病院で割り当てられたのが日本人である私だったという実話です。

>この帰還兵さんと出会ったときは、彼の差別的な言葉に圧倒されて、私も彼に嫌悪感を抱きました。   

>しかし、彼が「おまえは何人だ?」と質問したのに対して、私が「教えてあげるけど、まずはなんでそれを知りたいかを教えてほしい」と返したことで、彼の様々な体験と正直な思いを語ってくれることとなったのです。   

>それから2年間、彼は治療のため毎週通院しました。   

>そして、私との対話を重ねることで、次第に彼の心が変化していく姿を目の当たりにしたのです。   

>この体験は私に、戦争やトラウマという体験の複雑さも含め、分断の反対側にいるように見える人とも、心の交流を通して分断を乗り越えられるという希望を抱かせてくれました。   

>また同時にこの体験は、人々の行動や感情の発露に注目して耳を傾け、一面的でなく多面的に向き合うことの大切さを改めて学ばせてくれました。   

>「経験の共有が共感を作る」、そして「その共感が平和を守る」……私はそう信じています。   

>しかし、人生の中で出会える人の数は限られています。   

>だからこそ、芸術やメディアを通して知ることのできる他の人のストーリー、経験には価値があるのです。   

>『ソーシャルジャスティス』の第5章では、「アメリカ社会の差別から学ぶ アジア人男性とハリウッド」という問題に触れ、メディアに映し出されるものが、いかに人々の考え方に影響を及ぼすものかを語りましたが、その中で「世界中の人々の多様な経験を反映させた物語を想像する」というディズニーの提言についても次のように綴りました。    

>一部抜粋します。   

>以前、第二次世界大戦末期の硫黄島での日米の戦いを、日本兵の視点で描いたクリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』を見たアメリカ人が、「敵国の日本人にも家族や彼女がいたりして、それぞれの思いで戦争を生き抜いたことを初めて知った」と答えている印象的なインタビューを見たことがあります。   

>それまでアメリカで観た戦争映画では、敵国の軍人たちはただ敵として描かれるだけで、それぞれの暮らしぶりや顔が思い浮かぶことがなく、彼らの人生や物語について考えるきっかけがなかったのだと。   

>しかし「世界の様々な人の経験を描く」ことは、自国中心の歴史観の裏に隠れていた、いくつもの生きた声に触れることを可能にしてくれる。   

>そのなかで単純な敵・味方にとどまらない歴史観が育まれるのだと思います。   

>アメリカやヨーロッパで核兵器に関して議論される際、私は日本人として、どうしても違和感を感じることが少なくありません。   

>それは、核の抑止力のような核兵器にまつわる理論や核兵器保持の必要性を正当化する政治的な背景ばかりが議論され、実際核兵器が使用された後の人々の苦しみの悲惨さが語られないからです。   

>こう感じるのは、私が日本で受けた教育や、『はだしのゲン』などの漫画や、井伏鱒二の『黒い雨』などの小説、そして広島出身の祖父や親戚の実体験から、実際に核に翻弄された人々の人生を知る機会に恵まれたからでしょう。   

>日本から世界に伝えなければならないストーリーが広く語られることを祈っています。   

>『ソーシャル ジャスティス小児精神科医、社会を診る 』より   

>私はこうして海外在住の日本人である私の経験を共有する機会をいただけて、とても光栄です。   

>そして、これからも日本の人間のストーリーを世界の中で語っていくつもりです。   

>こうしている今も、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナなど、世界では武力での衝突が続いています。   

>核への脅威について、今改めて考えることはとても大事なことだと感じています。   

>ヒロシマ・ナガサキから「Never Again(二度と繰り返さない)」のメッセージを世界に広めていくこと、世界唯一の被爆国の日本だからこそできる、とても重要な平和へのアクションだと思うのです。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日 

残念ながらわが国は原爆開発においてアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕はまぬがれた。 めでたしめでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘命 (ヌチ) どぅ宝’(何をおいても命こそが大切である。)ではなかったか。  

‘封建国家で最も安価な資源は人命だが、我々にとっては、最もかけがえのないのは国民だ’(ウクライナ軍のワレリー・ザルジニー総司令官)  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数29 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/03/30 16:14
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