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2025年01月18日(土) 

 

>産経新聞   >あの日から30年「忘れてはいけない」震災の悲しみ、教訓受け継ぎ、明日へ続く祈りの朝   >22時間・   

>犠牲者への追悼行事が行われた神戸市中央区の東遊園地には多くの人が訪れ、震災の発生時刻に合わせ、灯籠を囲み黙禱(もくとう)をささげた。   

>早朝の暗闇に灯籠の明かりで浮かび上がった文字は「よりそう」。   

>30年という年月を経ても犠牲者や被災者らに寄り添い、風化を防ぐという願いが込められており、参加者はさまざまな思いを胸に犠牲者らを悼んだ。   

 

堅固な防災都市を建設して犠牲者や被害者を減らす努力をしましょう。   

 

>同公園には竹灯籠や紙灯籠計約6500本が並べられ、灯籠には「30年」や「忘れない」、「希望」などと書かれ、中には平成23年の東日本大震災や、昨年1月の能登半島地震の被災者に心を寄せたメッセージもあった。   

 

震災の教訓は忘れられませんね。心を新たにして一層防災に励みましょう。      

 

>「悔しい気持ちは30年たっても変わらない」。   

 

我が国は地震の国ですから地震に関する知識は豊富ですね。   

 

>こう話すのは同市灘区の文化住宅で1人暮らしだった父親を亡くした同市長田区の松嶋美見(よしみ)さん(73)。   

 

そうですね。父親の死を無駄にはできませんね。固い決意が必要ですね。     

 

>震災前々日の15日には成人式後に娘の着物姿を父親に見せに行った。   

>「86歳だったがとても元気で。   

>もう少し早くいけば助かったのではないかといつも思う」と悔やんだ。   

>同市兵庫区の清掃業、立岩友(とも)さん(45)は同市須磨区で被災し、母親を失った。   

>当時住んでいた木造2階建てアパートが全壊し、屋根にはさまれ犠牲となった。   

>毎年、命日前後は気持ちが落ち込むこともあるが、「東遊園地に来ると心が晴れる」といい、母には心の中で「30年たったけど、しっかりこれからも前向きに生きていくからね」と伝えたという。   

 

神戸市は高度の防災都市に生まれ変わる決意が必要ですね。立岩さんは母親の死を決して無駄にすることはできませんね。  

 

>「私の経験も伝えていきたい」。   

 

地震国であるわが国の経験は世界中で生かされる必要が在りますね。   

 

>そう話すのは千葉市の斎藤智子さん(57)。   

>阪神大震災当時は神戸市北区の団地で被災、「死ぬかもしれないと思った」と振り返る。   

>千葉では東日本大震災も経験。   

>最近になって「震災で感じた恐怖心を吐き出せるようになった」と打ち明け、昨年防災士の資格を取った。   

>「東日本大震災や能登半島地震の被災者の中にも私と同じような人がいるかもしれない。   

>これからは無理せずつらい気持ちを吐き出すことが大切と伝えていきたい」と話した。   

 

震災の教訓は忘れられませんね。防災都市の建設に役立てたいものですね。進歩の国民としての実を示しましょう。        

 

>震災を経験していない若い世代も教訓を引き継ぐ思いを語った。   

>「実際に来ると追悼の雰囲気がしっかり残っていて、竹灯籠の文字も思いを持って書かれているのが伝わった」と話したのは、ボランティアサークルに所属する神戸常盤大4年の大島かれんさん(23)=兵庫県三木市。   

>サークルを通して東北や能登の被災地を訪れたこともある。   

>「日本に住んでいる以上地震は避けられない。   

 

そうですね。地震と付きあう方法を広めましょう。世界の人が目を見張る高度の防災都市を建設しましょう。     

 

>自分が聞いた話を周りに話すとか、小さなことでも経験は広がっていくと思う。   

>被災経験がないことをあまり後ろめたく思わずに関わっていきたい」   

>震災の7カ月後に生まれた同県たつの市の三原綾乃さん(29)は、震災で亡くなった伯父に「一度でいいから会ってみたかった」と話す。   

>震災の教訓を受け継いでいく思いを胸に、「これから起こるとされている南海トラフ地震も怖い。   

 

そうですね。震災の教訓の蓄積はわが国の宝になるでしょう。建設的な歩みの推進力になることでしょう。    

 

>自分ができることをしていきたい」と涙ながらに語った。   

 

防災の責任者はこれからも荷が重いですね。   

日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。兎角この世は無責任となっている。それでは困る。建設的な態度が必要である。      

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにしない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

 

 

 

 

 


閲覧数102 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/01/18 13:52
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