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2025年04月23日(水) 

 

>ダイヤモンド・オンライン   >「なぜ人は学歴の話が好きなのか」。学歴が持つ絶大な影響力とその裏にある危険性とは   >びーやまの意見・   >1時間・   

>「大学受験」は10代における最大のイベントです。   

>残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。   

>それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。   

>そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売されました。   

>本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。   

>本記事では発刊を記念して著者である、びーやま氏への特別インタビューをお届けします。   

>なぜ人は学歴の話が好きなのか   

>――大人になっても学歴の話が好きな人が結構いるかと思うのですが、それはなぜなんでしょう。   

>びーやま氏(以下:びーやま):たしかにすごく多いですよね。   

>僕らも例外に漏れず、そんな大人の一人なわけですが、学歴の話が盛り上がりやすい理由はいくつかあると思います。   

> 1つは単純に話やすい話題だからだと考えています。   

>近年は大学に行くということが当たり前になってきているがゆえに、多くの人が大学受験を経験しています。   

> すると、「大学」は多くの人にとって共通のテーマになりますから、盛り上がりやすいのではないでしょうか。   

>普通に大学受験を経験した人であれば、なんとなく世の中にある大学群のことも知っていますし、駅伝や大学野球などの派生テーマについても触れやすいですから、「そういえば、〇〇さんってA大学だよね?」のように会話のきっかけとして機能しているのだと思います。   

> しかも、それで出身校が同じだったりすれば、先輩後輩という強いつながりが生まれますから、なおのこと話は盛り上がりやすいんじゃないのかなと感じます。   

>――なるほど。   

>でも、「出身地」などでも同じようなことができそうな気もするのですが、そのあたりはいかがでしょうか。   

>びーやま:そうですね。   

>出身地も同じだと思います。   

>なので、学歴は「第二の出身地」みたいな役割を果たしているんだと僕は思います。   

> その意味では、「学歴の話が好き」というよりも、「学歴の話をするのが楽」というのが正しいのかもしれないですね。   

>「学歴にはそこまで興味はないけれど、学歴であればある程度知っているし、各大学そこそこ校風も知っているから、そこから相手のことも理解できる」というのはありそうです。   

> 加えて母校の話は誰もが楽しそうに話すことの1つでもあったりするので、意外とポジティブな方向に話が進みやすいという側面もあると思います。   

>学歴話のなかで相手の信頼性をたしかめる   

>――先ほど、「学歴の話が盛り上がりやすい理由はいくつかある」とおっしゃっていましたが、ほかにはどんな理由があるのでしょうか。   

>びーやま:少しフォーマルなシーンの場合だと、学歴がその人の信頼性を担保する役割を果たすため、学歴の話になりやすいんだと思います。   

> たとえば、ちょっと真面目な話をしているときに相手が東大や早慶などとわかれば、「この人は頭がいいから信頼できるかも」と、人はなりやすいですし、いい意味でバイアスがかかるように思います。   

> 加えて、就職の場面などにおいても「私は誰よりも努力できる人間です!」と説明されるよりも学歴ひとつ見れば、それが結果としてどのくらい反映されているのかは判断できます。   

> こういった形で、相手は「どのくらい優秀な人なのか」手っ取り早くたしかめる1つの手段としても学歴の話は機能しているように思います。   

>ただ、「高学歴=優秀」では必ずしもないということ忘れてはいけません。   

>――たしかにおっしゃる通りですね。   

>ただ、「学歴の話はあまりするものではない!」みたいな風潮もややあるように感じるのですが、その点はいかがでしょうか。   

>びーやま:それはよくないなと思います。   

>学歴は悪ではないというか、その人が頑張って手に入れた大きな実績の1つですから、「それはよくないことだ!」と断罪してしまうのはどうかなと思います。   

> もちろん、学歴の話を不愉快に話す人がいるのもわかりますが、それはテーマそのものというよりもその人自身の問題なような気もします。   

> 時代や学校は違えど、結局は「大学受験」という同じ苦しみを乗り越えた仲間みたいなスタンスでいれるところが「学歴話」のいいところですから、テーマそのものに罪はないと思います。   

>――びーやまさんご自身はなぜ学歴の話が好きなんですか?   

>びーやま:今の話と少し似ていますが、学歴そのもというよりも、その人の背景にあるエピソードが好きです。   

>たとえば、「どうして地方から都会の私立を選んだのか」とか「どうしてその学部にしたのか」とかを聞くと、その人が大事にしているものや考え方にエピソードベースで触れられるので、人柄がよくわかるなと。   

> 加えて、大学受験時の勉強のエピソードなども、同じ合格という結果でも人によって全然アプローチが違ったりするので、「そんな方法もあるのか」と勉強になっておもしろいです。   

>学歴や大学受験の話は年代によって考え方や勉強法に如実に違いが出るので、そのあたりも奥深いなと。   

>学歴話で人を不快にさせてしまう人もいる   

>――わかる気がします。   

>学歴の話がこういったいい側面を持つ一方で、先ほどびーやまさんもおっしゃったように「学歴の話を不愉快に話す人」もいるのは、結構根深い気がするのですが、そういった人はなにが問題なのでしょうか。   

>びーやま:「学歴だけがすべて」だと思っていることです。   

> 学歴は努力の証であり、その人の信頼性を担保するものでもありますが、それは「ある1つの側面から見ているだけ」でもあります。   

>スポーツや資格など、学歴以外でも努力は可視化できますし、時間をかければ学歴以上に相手のことを信頼することも当然できます。   

>加えて、大人になってから「学ぶこと」に目覚めて、高い学歴はなくとも博識な人もたくさんいます。   

>「学歴の話を不愉快に話す人」はこういった可能性をすべて排除して「高学歴=優秀&信頼できる」、「低学歴=バカ&信頼できない」と簡単に判断してしまうのです。   

 

そうですね。それは学歴万能主義の人ですね。  

 

> そのため、学歴をきっかけに相手のことを知ろうとするのではなく、学歴に審査の役割を持たせて「君はどこ大?」のような話し方をしてしまいます。   

>当然ですが、気分がいいものではありません。   

> 学歴は偏差値上ではどうしても優劣はつきますが、それはあくまで偏差値だけの話で、上下関係では決してありません。   

 

そうですね。しかし日本人は上下関係を求めていますね。   

 

> こういった人は学歴が好きというよりも「学歴に飲まれている状態」と言えるでしょう。   

 

そうですね。それは序列メンタリィティの虜になっている人ですね。   

 

>――「学歴に固執しすぎている」ということなんですね。   

>びーやま:まさしくその通りです。   

>学歴はあくまでその人の一部分でしかありません。   

>それだけで人を見るのはまったく持ってナンセンスです。   

>しかも、「高学歴か否か」に固執している点もよくありません。   

> 学歴の話において重要なことは、「高学歴か低学歴か」ということではなくて、「その人が自分の学歴に胸を張れているんだったらすべてが最高」ということです。   

> 僕もよく、「高学歴な人が好きなんですよね?」と言われますが、そんなことはなくて、「大卒以外も含めて、自分の学歴を好きな人」が好きです。   

 

そうですね。日本人の学歴が学問に繋がらないところが玉に瑕ですね。   

 

> 多くの人にとって、適切に学歴が理解されるといいなと思います。   

>――ありがとうございました。   

>びーやま[著]   

>教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』のツッコミ担当。   

>早稲田大学教育学部卒。   

>高校時代の偏差値は37だったが、1年間の浪人を経て早稲田大学に入学。   

>大学時代は起業・自主退学・復学など、さまざまな経験をしたのち、大学受験のすばらしさに気づき現在に至る。   

>甘いルックスと鋭いツッコミ(たまにポンコツ)で視聴者の心を掴んでいる。   

>決め台詞は学歴モンスターの相方・高田ふーみんを制止する「ヤメロオマエ」。   

>高田ふーみん[協力]   

>教育痛快バラエティ番組・YouTube『wakatte.TV』にて「学歴至上主義」を貫く学歴モンスター。   

>京都大学経済学部中退(現役合格)。   

>学歴を絶対の価値基準とする偏った思想を持つヒール役として受験生や大学生を中心に人気を博している。   

>決め台詞は「Fランやないか」。   

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが叙勲の機会獲得は難しい。    

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数16 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/04/23 09:17
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