>現代ビジネス >「延命治療お断り」なスウェーデンとは対照的な日本、「リビング・ウイル」をかなえてもらえない落とし穴が >樋口恵子 (評論家・東京家政大学名誉教授) の意見・ >22時間・ >御年93歳のヒグチさん、80代より「今が幸せ」と言える秘訣を69の心得としてまとめました。 >たとえば、「楽しげに生きる」はヒグチさんの自分との約束です。 >「楽しげに生きると決めると、いいことが始まる」からです。 >著書『 93歳、あとは楽しげに生きる ヨタヘロな私の心得69 』には、ほかにも幸せを呼び寄せるヒントが満載! >延命治療は「絶対にごめんだ」 >20年ほど前、スウェーデンへ行ったとき、延命治療についてどう考えているのか取材をしたことがあります。 >街頭インタビューで「あなたは死のことを考えたことはありますか、そのときに何か延命的な措置をしてほしいですか」と質問すると、ほとんどの人が「絶対にごめんだ」と答えました。 >「お子さんとそういうことを話したことがありますか」と聞くと、「娘とはしているなあ」との答え。 >やはりスウェーデンでも、こういう問題で頼りになるのは息子より娘なんですね。 >「書面にしていますか?」 >この問いには、「そういう例は聞いたことがあるけど、私は書いていません」と。 >なるほど、スウェーデンではあまり延命治療を望まず、医療においても延命治療をしない社会的コンセンサスができているのだと感じました。 >一方、日本はスウェーデンとは反対に、延命治療をするのがコンセンサスになっています。 >そのなかで、「延命治療はお断り」という人は、きちんと自分の意思を文書で記しておく必要があります。 >それがなければ、医療者も家族も、回復の見込みがないのに人工呼吸器をつけて酸素を送り込み、胃に穴をあけて胃ろうを造設して栄養をとらせたりします。 >これらの延命処置はひとたび始めると、はずすことが簡単ではありません。 >生命維持装置をはずせば死に至ることは明らかだからです。 >日本尊厳死協会では、人生の最終段階における医療・ケアを、自ら選択して、最期まで自分らしく尊厳を保って生きるために、「リビング・ウイル」や「私の希望表明書」の作成を提案。 >これに希望を記入し、医療者や家族と情報を共有しあうことをすすめています。 >ただし、リビング・ウイルは法制化されていないため、本人が意思を示したとしても、実際の医療現場ではそのとおりにならない場合もあるようなのです。 >2008年には家族の同意のもとで人工呼吸器を取り外した医師が殺人容疑で書類送検されることがありました。 >後に不起訴となりましたが、やはり医療側は慎重にならざるを得ません。 >リビング・ウイルは死生観も伝えておくことが必要 >私は、リビング・ウイルを書いた名刺を保険証などとともにケースに入れて持ち歩いています。 >保険証は医療機関が必ず探し出してくれるので、この名刺に書かれた私の意思を尊重してもらえるのではないかとの判断です。 >ただ、これさえあれば必ずかなえられるとは言いきれないようです。 >リビング・ウイルを書いておきさえすればいいというわけではなく、それを預ける家族やかかりつけ医に、自分の死生観や望む生き方について話しておくことが大切だ、と高齢者の権利に詳しい弁護士から聞きました。 >ちょっと前まで、患者さんが自分の意思をかなえるには、前もって家族やかかりつけ医にも自分の意思を伝えておき、なおかつ、いざというときにはかかりつけ医が、救急車で運ばれた病院に行って掛け合ってもらうということまで必要だったようです。 >日本では基本的に患者の意思は尊重されることが少なく、医師が治療方針を決めてきた歴史が長くありました。
そうですね。日本人には意思がない。だから、アニマルと同じ扱いになりますね。
>そんな日本の状況も少しずつ変化し、リビング・ウイルについて理解を示す医師も増えているとのことです。
日本語の文法には時制 (tense) というものが無い。だから、日本人は未来の時制を使って、その内容を表現できない。それで、日本人には意思がない。 日本人は、トランプ大統領のように自己主張ができないので、優柔不断、意志薄弱に見える。 日本人の動作は定められた作法に従っている。戦時の自決も玉砕も同調圧力と忖度によりなされている。その逸脱は許されないので、日本人には自由がない。不自由を常と思えば不足なしか。 自己の意思を表す者はいないので、個人の勇気を称える追悼が無い。日本人はアニマル同様に供養されている。日本には供養が盛んに行われる。鰻供養、筆供養、針供養というのもある。
>ひとりひとりが後悔のないように、自分の命について考え、意思を書き記しておくのが当たり前の社会になればいいなと思います。
意思の無い人間には、自己の意思を書き表すことが難しい。
|