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2025年07月08日(火) 

 

>読売新聞   >80年前の七夕の夜、思い出したくない「地獄絵図」… 語り継ぐ平和の思い「戦争はとんでもないこと」   >読売新聞によるストーリー・   >13時間・   

> 太平洋戦争末期に千葉市の中心市街地が狙われた「七夕空襲」から7日で80年となる。   

>米爆撃機「B29」が約1時間半の間に900トン近い 焼夷(しょうい) 弾や爆弾を投下し、1204人が死傷した。   

>当時を知る人が年々減る中、体験者たちは次世代に戦争の恐ろしさを伝えようと、懸命に声を振り絞る。   

>(渋谷功太郎)   

>「そんな暇ないぞ」急かした父   

> 「ヒューン、ヒューンって、焼夷弾が雨あられと降ってきた。   

>当たらなかったのは運が良かっただけだよ」   

> 千葉県四街道市の中央大名誉教授高橋治男さん(88)は、80年前の忌まわしい光景が今も忘れられない。   

> 陸軍少佐の父親の下で育った軍国少年で、クレヨンで戦闘機の絵ばかり描いていた。   

>当時、千葉市に住んでいて、富士見国民学校(現・新宿小学校)では竹やり訓練に励んだ。   

>「特攻隊になることが誉れ。   

>絶対に日本が勝つ」と信じていた。   

>そんな世界が一夜で一変した。   

> 7日未明、空襲警報のサイレンでたたき起こされた。   

>毎晩枕元に置いていたリュックを慌てて背負い、靴を履こうとしたところで父親から「そんな暇ないぞ」と 急(せ) かされた。   

>靴下で家を飛び出すと、背後で自宅が燃え始めた。   

> 間もなく大雨が降り出した。   

>出洲海岸を目指したが、「ヒューン」と音がするたびに火の手が上がり、焼け落ちた家のせいで道路が通れない。   

>都川にかかる鉄道用の鉄橋を家族で1列になって渡り、必死で海岸まで逃げた。   

> 2歳上の姉とともに、雨水でどんどん重くなる布団をかぶってぼう然と立ち尽くした。   

>雨がやみ、夜が明けると、海岸のあちらこちらに焼夷弾の筒が突き刺さっているのに気付き、ぞっとした。   

> 焦げ臭い街を歩いて自宅に向かった。   

>あちこちで煙が上がり、人が倒れていた。   

>遺体にすがりついてわんわんと泣いている人がいた。   

>自宅だった場所は、溶けて固まったガラスと、熱で真っ赤になった軍刀やミシンの脚などがあるだけだった。   

>「思い出したくないほどの地獄絵図。   

>だいぶ戦局が悪いんだろうと思った」。   

>39日後に日本は降伏した。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ) でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日 

残念ながらわが国は原爆開発においてアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕はまぬがれた。 めでたしめでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。‘ぬちだ宝’(いのちは宝)ではなかったか。   

 

> 戦後は高校、大学を出て、中央大で教べんを執った。   

>学生たちに自身の空襲体験を語り、平和を説いたこともある。   

> 「人が命を奪い合うなんて、そんなバカなことはない。   

>戦争はとんでもないことだ」。   

>そう語気を強めた。   

 

日本の平和運動は体験者の証言だけにずっと依拠し続けてきた。体験者は現実を語る者であるが、平和の礎には政治の仕組みを調べ、「改革」「運動」「参加」の考え (非現実) の内容を語る人が必要である。非現実の内容 (考え) は高等教育の成果から得られるものである。   

政治には未来 (非現実) の先取りが必要である。だが、日本人には現実があって、非現実がない。だから、日本人は現実にとらわれて行き先を見失い政治が迷走する。   

 

>田んぼに放り投げられつないだ命   

> 千葉市若葉区の栃木実子さん(87)は、本町国民学校(現・本町小学校)2年の時に空襲に遭った。   

> 空襲警報のサイレンを聞き、兄や姉と一緒に庭に掘られた半地下の防空 壕(ごう) に飛び込むと、間もなく数メートル先の隣家から真っ赤な炎が上がった。   

>熱くて怖くなった栃木さんは思わず、防空壕から 這(は) い出した。   

>消火活動をしていた両親が気付き、隣接する田んぼの水路に放り投げられて命をつないだ。   

> 避難しようと向かった友人宅は満員で入れてもらえず、自宅に戻るとそこは火の海だった。   

>ぬれていたはずの服は火災の熱であっという間に乾き、その後、親戚宅に逃げ延びた。   

> 数日後に学校の様子を見に行くと、校舎は焼失し、黒い物体が置かれていた。   

>炭化した遺体だと気付き、言葉を失った。   

>学校から約1キロ離れた千葉駅が見渡せるくらい、辺り一面焼け野原だった。   

> 「飛行機が低く飛ぶ音は今も好きじゃない」と語る栃木さん。   

>80年たっても、大きな音を聞くたびに当時の 凄惨(せいさん) な体験を思い出すからだ。   

> ロシアによるウクライナ侵略など、海外の戦争報道を見るたびに平和への思いを強くする。   

>「もう戦争は嫌だ。   

>やめてもらいたいよ」   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 

指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容が出て来ない。これが英米人の子供と違う所である。    

 

英米の高等教育は子供が大人になる為の教育である。子供は現実 (事実) に関する知識のみを持っているが、大人には非現実 (考え・哲学) に関する知識もある。それを若者に持たせるのが彼らの高等教育である。

日本語には非現実を内容とする構文がない。それは日本語文法には時制 (tense) というものが無いからである。日本人には非現実に関する知識がないのでわが国では英米の高等教育がなりたたない。だから、現実ばかり (現実肯定主義) の日本人は子供らしくみえる。   

非現実の内容を現実の内容に転換する方法を見つけることができたら、それは人間固有の創造力を発揮したことになる。日本人はその創造力に欠けている。        

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数113 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/07/08 01:00
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