>ググットニュース >百田尚樹氏、「過ちを繰り返しませんに疑問」「原爆に関して何も過ちを犯していない」「過ちは米国が犯した」 … ネット賛否 >ググットニュースの意見・ >22時間・ >作家で日本保守党代表の百田尚樹参院議員が6日、自身のX(旧Twitter)を更新。 >広島で行われた平和記念式典について私見をつづった。 >百田氏は、「平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式)に参列。」と、現地で式典に出席していたことを報告。 >そのうえで、「厳かな式典に身が引き締まったが、気になったのは、挨拶を述べた何人かが「過ちを繰り返しません」という言葉を発したこと。 >広島市民も日本国民も原爆に関して何も過ちを犯していないし、その責任もない。
日本人には意思がない。意思のない人間には責任もない。 ちょうど死刑執行人の様なものである。人は死んでも殺人罪には問われない。 日本人の有する罪は為政者の発する罰則の様なものである。人の心の奥底にまでは響かない。
>過ちは米国が犯したものである」とつづった。
そうですね。意思のある人間には責任がある。日本人には意思がない。まだ子供の様なものです。 罪を知らない人間に謝罪を要求するのは自虐の勧めに当たりますね。
>さらに、続く投稿では、「私は何も80年前の米国の責任を追求する気はないし、それを声高に糾弾する気もない」と補足しつつ、「しかし、米国政府から『原爆投下は過ちであった。 >我々はしてはいけないことをしてしまった』という言葉があれば、被災者の霊は幾分かは慰められるのではないか」とつづった。
日本人には被害者意識がありますからね。恨みがある。悪びれるところがないから謝罪の要求に出る。
>この百田氏の投稿に対し、ネットユーザーからは「まさにそのとおりです」「正しくは『過ちは繰り返させません!』ですよね」「私も小学生の時、修学旅行でこの碑をみて疑問に思ってました…」「この言葉の主語は地球に住む私たちという意味」「主語が『人類は』であること容易に想像できると思うのですが」「この碑文の主語はわれわれ人類全てであり、過ちとは原爆のことのみならず戦争全般のことなのです」など、賛否両論の声が寄せられている。
全ては日本人の忖度 (自分自身の勝手な解釈) ですね。何が過ちであるかも言い当てていませんね。
TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。 孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)
子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。 英米流の高等教育は子供に哲学を獲得させるための教育である。 英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。 子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。
英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。 未来時制の構文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。 自己の意思を表すと加害者意識も経験することになる。 それが高じて罪の意識も理解できるようになる。罪の告白も可能になり入信する人もいる。 深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。 事故の原因究明をうやむやにはできない様な心構えになる。
魂の救済を必要とする人も出て来る。 贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。 こうした過程を経て浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。 だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。
哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。 日本語は現実の内容だけを話す言語である。写生画の言語であるとも言われている。 日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。 だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。 嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。
今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。
当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。 難関出身者が序列社会で優位に立つことばかりを気にしている。大型の子供たちである。 世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっていて、国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。
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