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2025年08月09日(土) 

 

>日刊スポーツ   >百田尚樹氏、米山隆一の「日本にも過ち」に反論「自虐史観と偽善に基づいた捻じ曲がった解釈」   >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・   >12時間・   

>日本保守党から比例代表で立候補し初当選した代表の百田尚樹参院議員(69)が8日、X(旧ツイッター)を更新。   

>米軍による原爆投下から80年となった6日に広島で行われた平和記念式典をめぐっての投稿に言及してきた立憲民主党の米山隆一衆院議員に対し、反論した。   

>百田氏は6日の投稿で「厳かな式典に身が引き締まったが、気になったのは、挨拶を述べた何人かが『過ちを繰り返しません』という言葉を発したこと。   

>広島市民も日本国民も原爆に関して何も過ちを犯していないし、その責任もない。   

>過ちは米国が犯したものである」としていた。    

>米山氏は、百田氏のポストを引用した上で「ごく普通に解釈して、戦争を開始した日本にも過ちがあり、原爆を投下した米国にも過ちがあるという極めて真っ当な言葉でしょう。   

>戦争を開始した日本に過ちがないかのように言い募る事こそ、却って米国の過ちの認識をも失わせてしまう、過ったものです」と指摘していた。   

 

そうですね。   

 

>百田氏は8日午後、米山氏の当該投稿を引用した上で「あなたの解釈はごく普通の解釈ではなく、自虐史観と偽善に基づいた、捻じ曲がった解釈である」と指摘。   

 

罪を知らない人間に過ちを認めさせるのは自虐の勧めですね。

子供は意思がなく加害者意識がないので、罪の意識もありません。ですから子供に過ちを認めさせるのは自虐の勧めになります。   

日本語文法には時制 (tense) というものがなく、日本語の文章には未来時制の構文はありません。ですから未来時制の構文内容である意思もありません。日本人は子供と似たような精神状態になっています。     

日本人には罪の告白もなく、日本の宗教は全て罪から距離を置いています。わが国には病める魂の持ち主がいないのです。      

ですから日本人に罪を認めさせるには日本語の捻じ曲がった解釈が必要になります。   

日本民族が印欧語族と馬を合わせてこの地球上に暮らすには彼らの考え方を受け入れることが必要になっています。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。 

 

>続けて「しかし、あなたはおそらく死ぬまでそのことを理解できないだろう。

 

そうですね。外国語をも学ばないと日本人は考えの違いを理解することはできませんね。   

 

>まさに米山氏の解釈こそ、戦後日本の自虐思想による洗脳の深い病理の典型的な実例である」とつづった。   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。

英米流の高等教育は子供に哲学を獲得させるための教育である。

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。

子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。

 

英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。

未来時制の構文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。    

自己の意思を表すと加害者意識も経験することになる。

それが高じて罪の意識も理解できるようになる。罪の告白も可能になり入信する人もいる。   

深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。     

事故の原因究明をうやむやにはできない様な心構えになる。

 

魂の救済を必要とする人も出て来る。   

贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。   

こうした過程を経て浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。   

だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。   

 

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。

日本語は現実の内容だけを話す言語である。写生画の言語であるとも言われている。   

日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。   

だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。   

嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。  

 

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。   

 

当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。   

難関出身者が序列社会で優位に立つことばかりを気にしている。大型の子供たちである。

世界に対する注意力不足で井の中の蛙になっていて、国際取引で印欧語族を取引相手にして苦戦を強いられることになる。    

 

 

 

 

 


閲覧数23 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/08/09 08:06
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