今日は横浜市郊外の住宅に米軍機が墜落して住民死亡
から30年経つ。
現在の横浜市青葉区荏田3丁目(当時は緑区荏田町)の
住宅にファントム偵察機が墜落。
その家の子供2人は即死。母は全身火傷で重症、3年後
その後遺症で死去。
ファントムの乗員2名はパラシュートで脱出して無事。
自衛隊のヘリがこの2人を収容も住民は放置で避難と
なる。
日米の協定ではこれが当たり前。
そんな日本の現状は30年後もそうは変わらない。
未だに進駐軍としての米軍(日本の要望でいることに
なっているが)は健在ということです。
神奈川県は沖縄県に次いで米軍施設が多い。
厚木航空基地は自衛隊も使用するが米軍の想いのまま。
イラク侵攻1次の時は、茅ヶ崎の台地すれすれに米軍
戦闘機がえぼし岩方向へ飛行訓練をする。
先般のイラク侵攻前は5機編隊を2機の指令機が指導
して我が家の上空(茅ヶ崎のダウンタウン上空)を昼間
バンバン飛行する。
さすがにマッハ音(バーンと凄い音で地面が揺れる)は
この10年は発てないように留意はしているが。
1970年代は茅ヶ崎の甘沼などの台地でマッハに達して
爆発音を残すのは当たり前でした。
その一連の飛行訓練での犠牲が横浜の3人。
他人事ではない!
日米軍事協定は防衛の為に必要不可欠という態度を政府が
取る限り、このような事故は何処でも起きる。
この犠牲者のことは忘れないでいて下さい。
横浜の「港のみえる丘公園」にこの3人を追悼した『愛の
親子の像』がある。
1985年設置で由来の説明板は2006年に付く。
このタイムラグは微妙な政治情勢を示すが、まずは由来板
が付いてこの事件を忘れないようになったのは喜ばしい。
画像:未だに改良型が自衛隊で使用されるファントム機
この偵察機RF4Eは1974年から75年配備のもので
事故機と同タイプと想われる。
松島基地で2004年7月撮影(ARUMU28さん)