1月17日の深さ10km活断層のズレが港の大都市
神戸などを襲ってから15年が経過。
断層に対して長手方向が正対したタイプの建物が転倒
したり低層部がペシャンコになったケースを多く見た。
神戸では南北に長い建物がこの場合。
ニューズウイークの表紙になった横倒しの建物。
地階へ繋がる鉄骨も引き抜かれていて、その加わった力
の大きさが良く判る。
神戸を拠点に大きくなった大建設会社の施工でした。
地上部の建物にはほぼ損傷は無い。
学問的に興味の湧くケースでしたが、5日後には上部は
解体されていて、地階との境界には砂利が埋められてい
て、内部を見ることも出来なかった。
事後の報告書では地下2階のチェックをしている画像等
が紹介されてはいた。
しかし、多くの技術者へ公開して議論を展開するべきで
あったと想う。
何故こんな事が起こったのか?
未だにきちんとは解明出来ていない。
さて其の年は新嘗祭の前日迄神戸に居た。
酷い建物の残骸は数多く残り、焼け跡は整理されていたが
焼け残りもまだ数多かった。
それから14年と2ヶ月。
神戸のあちこちを見る。
新長田付近の焼け跡は高層住宅で埋まっていた。
靴工場もかなりの数が立て直されている。
しかし、人の気配がない。
駅前では住民の参加が殆ど見えない慰霊の行事が準備中。
それにも元住人の影は見えない。
兵庫駅前まで歩く。
不要にしか見えない道路工事が進行中。
JRは狂ったように多くの本数が走っている。
焼けたブリキや傾いた2階建てのあった道路を歩く。
町名だけが記憶にある。
ここもカナル(運河)をイメージした高層住宅群が立ち並
び、駅前の両脇に超高層住宅が建っている。
何処の駅前も同じ雰囲気。
神戸市が震災以前にやりたかったことを良い機会として全
て手を付けた・・・そんな感じを強く受けた。
また神に呪われるかもと危ない感想も持つ。
その後の強引な神戸空港建設。
それを非難した方々も多かったようですが、結局は実現。
凄腕の行政です。
三宮は流石に神戸の中心地。
目抜き通りでは、車は高級車が走り、有名なショップが並
ぶ。
貧者は捨てられ、弱者も戻れず。
災害は怖い。
ハイチでは国勢調査もされていない模様で、未だに犠牲者
も埋葬者の数も不明。
良いチャンスと世界中の国が軍隊などをPKOと称して送
り込む。
世界の最貧国だから・・・。
しかしハイチは立派な独立国なのだ。
沖縄とは違う。
日本も救援隊を送るのはモタモタしたのにPKOで自衛隊
の工兵部隊を送る決定は早い。
なんか危なかっしい気配も感じる。
画像:神戸の1月17日の光景
市庁舎24階から見た東遊園地。
東遊園地から市庁舎高層棟を見る。
ここに集まった皆さんは震災を忘れないという目をお持ち
でした。