>多くの日本人は勘違いしているのだが、物を覚えるというのと、考えることができるというのは別のものだ。
そうですね。’物覚えが良い’ という褒め言葉は、良く聞きますね。だが、’考える人’ は見たことが無い。
>・覚える。>・考える。>この2つは似ているようで、まったく違う。
そうですね。どちらも頭脳労働ですがね。
>覚えるというのは、世の中の原理原則を覚え、歴史を覚え、仕組みなどを記憶するというものだ。>しかし、「覚える」というのは単なる基本であり、本来はそこからさらに飛躍しなければならない。>それが「考える」というものだ。
そうですね。我々は、記憶されたデータを基にして、考える人にならなくてはいけませんね。
>学校が物を覚えさせる場所であるというのは誰でも知っている。>しかし、考えさせているのだろうか。
それは難しい質問ですね。考えにもいろいろありますからね。
>日本の教育は、構造的に「覚えさせても、考えさせない」という教育になっている。>覚えさせても、考えさせないのである。>「考える」という部分を軽視している。
日本人はもともと、考えるのが得意ではないからでしょう。
>なぜか。それは、学校が何のためにあるのかを考えれば理解できるかもしれない。>学校とは、社会で通用する人間を作り出すところだからだ。
そうですね。学校とは、実戦に役立つ人間を育成するところですね。
>日本で「社会に通用する」というのは、サラリーマンになれるということでもある。
そうですね。不安定な土にまみれた生活から、定期的な収入を保証されるサラリーマン生活に、道を開くことが目的ですね。
>■教育とは子供を規格化するという側面がある >学校は最終的に子供を社会で通用する人間に「矯正」する場所である。>子供を規格化するのだ。>日本では国民の8割がサラリーマンであることを考えると、日本の学校で重要な使命は「日本人がサラリーマンとして通用するように規格化すること」と言うことになる。
そういうことになりますね。
>ここに問題がある。>サラリーマンとは、「上司の言うことをよく聞いて、口答えせず、言われたことを忠実に行い、不満があっても黙々と働き、集団生活を優先する」ということができる人間でなければならない。
兵士の様なものですね。責任者の方に責任が有るのでしょうね。
>だから、日本の教育はその現状に沿って、そういった人間を作り出す仕組みになっているのである。
それもあるでしょうね。
>上記の特徴を、もう一度よく考えてみて欲しい。>あることに気づかないだろうか。>「上司の言うことをよく聞く」とは、自分の意見を持たないで指示待ちの人間になるということである。>つまり、自分で「考えない」ことが重要だ。
自分で考えるのは自由でしょう。ただ、責任者の指導に従う必要はありますね。
>「口答えしない」と言うのも、自分の意見を殺して会社の意向を無条件で重視するというものだ。
役員には、会社に対する責任が有りますからね。下々は、自分の意見を表明できなくても、自分を殺したことにはなりませんね。
>つまり、自分で「考えない」ことが重要だ。
もしも、会社にとっての貴重な考えがあなたにあるならば、それを役員の方から尋ねてくるでしょう。彼らには、責任が有りますからね。
>「言われたことを忠実に行う」というのも、ロボットのようになるということであり、それはすなわち自分で「考えない」ことが求められている。
その責任は、職場の責任者にあるでしょう。
>「不満があっても黙々と働く」という奴隷のような状態も同じで、「考えないようにする」ことで達成できる。
‘耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んで’ ただ黙々と働くのですか。’いやならやめる’ が原則でしょう。
>「集団生活を優先する」というのも、結局は自分の意見や考えよりも会社集団を尊重するということであるから、「考えない」ことで達成できるのだ。
‘一億一心’ のようなものですか。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。日本人には責任感がまるで無い。とかく、この世は無責任。
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