>■「よけいなことを考えるな」というメッセージ >サラリーマンは考えることよりも、考えないことが求められる職業である。
そうでしょうかね。会社には、頭脳不足というものはないですかね。
>何をどうするかという部分についても「考えさせない」ために、企業は「マニュアル」を用意している。
マニュアルの内容は、責任者の指示そのものでしょう。
>マニュアルというのは、実は人間を「考えさせない」ためのものであることに気づかなければならない。
責任者個人が責任を持って職場の内容を考えたらよいのではありませんか。
>マニュアルは効率化とサービスの均質化を生み出すので企業にとっては好都合な存在だ。
そうですね。
>しかし、逆に考えると、それを行う人間には「この通りにやれ」という強制になる。
指示が無ければ、社員は仕事ができませんからね。
> 誰もが同じ手順でやるように強制し、一切の例外を認めさせない。
手順と製品の規格化は必要ですね。製品に当たり外れができては困ります。
>マニュアルは、「よけいなことを考えるな」というメッセージなのである。
余計なことは、必要ないことですね。
>サラリーマンが考えていいのは、会社が「考えろ」と強制した部分だけだ。
それは、社員の義務ですね。
>それ以外の部分は「考えないこと」が期待されている。
個人的に考えるのは自由でしょう。考えないことが義務とは考えられません。
>それもそうだ。>考えるというのは、自分の意見を持つということだ。>考えて自分の意見を押し通すというのは、集団よりも個人を優先するということなのだ。
そうですね。個人主義ですね。責任を持つ者の立場ですね。
>サラリーマン全員が、自分の好き勝手にあれこれ考え始めると、統制が付かなくなる。
無秩序ですね。考えるのは自由ですが、行動に出るのは混乱のもとですね。
>だから、あれこれ「考えない」で、言われたことだけを完璧に実行するロボットのような人間を企業は欲しがり、学校はそれを意識的にも無意識的にも読み取って、そのようになるように子供を矯正していく。
マニュアル組の育成ですね。
>学校に課せられた使命は、「上司の言うことをよく聞いて、口答えせず、言われたことを忠実に行い、不満があっても黙々と働き、集団生活を優先する」人間を作り出すことなのだ。
そういうことになりますね。
>そして、国民の8割が学校を卒業してサラリーマンになるのだから、その教育は成功していると言うことができる。
教育により我が国は、経済大国になりましたね。
>■日本の教育では「考えさせない」ことが使命 >ところで、人間はいろいろ物を覚えさせれば自然に「考える」人間になってしまう。
そうでもないでしょう。何しろ、考える事は難しいことですからね。物思いは、個人の勝手な忖度 (推察) であって、哲学にはならない。忖度は、空想・妄想の類でしょう。議論にならない。
>しかし、日本の教育では「考えさせない」ことが使命としてある。
そうでもないですよ。使命のように見えるだけのことです。 現実の内容は頭の外にある。非現実 (考え) の内容は頭の中にある。現実の内容は見ることができるが、考えの内容は見ることが出来ない。考えの内容は、単なる話の内容にすぎない。見ることができるものは本当のことである。見ることが出来ないことは嘘である。だから、頭の中にある内容は嘘ということになる。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、考えの内容は表明されない。また、それを期待されてもいない。
>教育の現場では、どうやって子供たちを考えさせないようにしているのだろうか。>それには、次の5つによって、成し遂げられている。 >(1)暗記を押し付けて「考えさせない」 / (2)苦手を押し付けて「考えさせない」/ (3)制服を押し付けて「考えさせない」/ (4)規則を押し付けて「考えさせない」/ (5)団体行動を押し付けて「考えさせない」>暗記をひたすらやらせると、考えるヒマがない。
そうですね。考えの内容は、どこにおいても表明されないですね。
>だから、学校は考える余裕がなくなるほど、暗記させる。
暗記より外にさせる事も無いからでしょう。
>暗記教育が悪いわけではないが、暗記重視によって考えるという部分が消失してしまうようにしているのは問題だ。
そうですね。考えを表明することは、難しいことですね。日本語の問題でもありますね。
>得意を伸ばさず、苦手を克服するように仕向けるのも、考えさせるのを嫌にするための手法だ。
得手に帆を揚げるのが良いですね。だが、誰しも嘘つきにはなりたくないです。
>誰もが苦手なものを考えるのは苦痛だが、その苦痛を押しつけることによって、考えることそのものを苦痛にしてしまう。>その結果、誰も考えなくなってしまう。
困ったことですね。日本語では、非現実 (考え) の内容を表現できません。それが元凶でしょうね。
>制服を押しつけるのも、個性を殺して「考えさせない」ための有益な手法である。
制服は、個人の行動を規制しますね。考えの内容は、個性を表しますね。考えのない人は、没個性的です。顔のない人間のようなものです。
>細かい規則を守らせるのも、団体行動を強制するのも、すべて「考えさせない」で「従わせる」ためのものなのである。>学校が馬鹿げているほど細かい規則を守らせるのはなぜか。
外にすることも無いですからね。
>究極的には「何も考えず、黙って従う」人間を作り出すためだ。
日本人には意思が無い。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制というものがない。だから、日本人には意思がない。そして、黙って相手に従うしかない。ポチのようなものか。英語には時制があるので、英米人から意思の有用性を学ぶのが良い。 意思のない人間は、意思疎通に欠けている。言外と忖度 (推察) による交信では、以心伝心も不確かなものに成る。だから、マニュアルが役に立つ。書いたものは、斧でも切れない。
>日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出していると言っても過言ではない。
それもあるでしょうね。それは、原因でもあり結果でもある。
>あなたは考えているだろうか?
私は、考えていますね。
>あなたの受けた教育は、社畜になるための教育だったのだから、「自分を取り戻す」ためには、学校で覚えたことはすべて忘れる必要がある。
とんでもない。せっかく覚えたことは、大切にしたいですね。全てを忘れても、助かるものは何もありませんね。
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