>大学受験。>自分にとっては40年以上も前のことになります。>受験勉強が嫌いだった。>ほんとに、ほんとに、嫌いだった。理屈抜き。
いやですね。単なる手段として要求される励みですからね。
>学びというのはあらゆる不純な動機づけを見抜くことそのものである。>プレッシャーによる学びに屈することは、真実を求める心の自殺である。
日本人は、もともと真実とは縁のない民族ですからね。日本人の励みは、最初から最後まで処世術獲得の手段ですからね。
>なんて今だったらカッコよく言うんですけど、17歳や18歳ではなにがなにやらわかりません。>勉強していると遊びが気になる、遊んでいると勉強が気になる。最悪ですね。
不安定な心理状態ですね。受験生は、皆さんそのようになるようですね。
>大学受験は、徴兵制の一種なのだと思っていました。>でも、脱走する勇気はなかった。>親が勉強にうるさかったら反抗できたかもしれないけれど、親は成績のよい息子が嬉しいだけだから、私は期待に応えてしまう。>ほんとうに、進学しか価値観のない時代でもありました。
立身出世の世の中ですね。教養などというものは、縁のない時代でしたね。
>でも勉強は嫌いだから、「難しいところに入ってみせりゃ、それでいいんでしょ」。>それだけになってしまいました。
曲芸師の様なものかな。
>東大に入るつもりだったら、学生争乱のためにその年の東大入試がなくなってしまい、京大に行きました。>別になんの勉強がしたかったわけでもない。
それは、残念なことでしたね。
>どうせ、自分の人生なんか持ちようがないのさ、みたいに精神的にグレています。>グレると、ろくなことがないですね。
建設的な態度になれないですね。
>70年の学園紛争のまっただ中でした。>一切の既存の価値観を疑おう、ということには賛同できました。
それは、大切なことですね。
>どんな権威も認めなくなった。
あなたは、お山の大将ですね。
>そうしたら、授業は理解できなくなり、失恋し、学生運動に巻き込まれ、いつも不安の塊。>付き合っている仲間が全共闘派だから、仲間とつきあっていたい一心で革命用語を覚える。
烏合の衆への仲間入りですね。詰め込み教育が役に立ちましたね。
>いろんな本を読みあさり、仲間に対してひけらかす。
見栄と外聞の世の中ですね。いかにも日本人らしいですね。
>ほんとうは、愛されたかっただけなんですけどね。>その正反対のことばかりする。
なかなか素直にはなれないものですね。
>学生時代に仲間に流されたのがいやだったから、もう集団に流されるまいと思いました。
無哲学・能天気では、時流に流されますね。
>会社勤めしても、資本主義に染まってなるかと自分の思想を固めて突っ張った。>そうしたら集団に入り込めない、いわゆる「空気読めない」になりました。>6年近くも頑張った。でもつらくて、辞めました。
適職ではなかったのですね。空気を読んで、泳いで渡るのが、日本人の流儀ですかね。
>ほんとうは怖くてしょうがなかっただけなのに、思想で固めて強いふりをする。
他人の考えの受け売りですね。昔の勉強が役に立ちましたね。
>そういう他人にはうんざりするけれど、自分でやってみないとその心境はわからないものです。
権威に成り代わった気持ちがするのでしょうね。自己欺瞞というものか。
>頑張っているうちに、自分の心も他人の心も感じられないモンスターになるんです。
自己が無い。心がすさんだのですね。
>会社を辞めてぶらぶらして、いわゆる自分探しをやります。>生きることの充実はどこにあるのか。>そんなの、探して見つかるようなものじゃありません。
そうですね。生きていれば、それはわかる。
>だって、生きるエネルギーは自己欺瞞がないところにやって来るんです。>本に書いてあることや誰かの言ったことを真似していること自体が、空虚感や恐怖から逃げ回っているんです。
そうですね。日本人の勉強は受け売りの勉強ですからね。我々は、’考える人’ になる必要がありますね。
>そうこうしているうちに、親戚や知人の子どもの勉強を見るようになり、こちらは自然にうまくいきます。
あなたは、勉強好きなのですね。
>集団に入り込めないつらさを知っているもので、不登校の人たちを援助していたら、これもうまくいきます。
それは、良かったですね。貴方は、希少価値の持ち主ですね。
>いつのまにか、教育をやるようになっていました。>失敗も多いけれど、教育だと原因究明に熱心になれます。>どうも、天職だったみたいです。
めでたし、めでたし。自分探しに成功したのですね。
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