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2018年05月08日(火) 

 

 

>18/04/12 AM09   >やはり次の首相がいないということが、政権が変わらない根本にあるということか?

 

そうですね。人材不足ですね。代わりがいないのでは、政権の交代は提案できません。押しなべて教養が足りないのでしょう。

 

> 天木直人のブログより、引用します。リンク>///////////////////////////////////////////////////////////////////

>(引用開始)

>どう考えても安倍政権は追いつめられているというのに、なぜか安倍首相は政権を投げ出す気配はない。

 

そうですね。安倍首相には自信がありますね。’他の政治家よりも良さそうだから’ ということでしょう。

 

>その唯一、最大の理由は、野党が安倍政権よりも、もっと絶望的だからだ。

 

世の中には、下には下がいるものですね。野党の身から出た錆でしょう。民信なくば、立たず。

 

>その事を、きょう発売の週刊誌上でジャーナリストの鈴木哲夫氏が教えてくれている。>国会質問で野党共闘して安倍首相を追い込むべき時に、「俺が」、「俺が」で質問に統一性がないと。

 

無哲学・能天気の議員には、大同の内容を提示する能力が無い。だから、議員たちは、小異 (現実) を捨てて大同 (非現実) につくことは出来ない。かくして、小異の激突に明け暮れる。議員の離合集散が激しい。限りない新党づくりが、政治活動の本質とでも考えているのでしょうかね。

 

>国会対策の場面でも不協和音続きで、立憲民主党が主導権を握ろうとして混乱していると(アサヒ芸能4月19日号「政界インサイド通信)。

 

日本人には、哲学 (大同) ’が無い。だが、’俺’ がある。個人主義が無くて、利己主義がある。だから、指導性を発揮することができない。

日本人には、意思が無い。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制というものが無いので、日本語脳裏には未来時制はなく、日本人には意思が無い。だから、日本人は優柔不断・意志薄弱に見える。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。意思は文章内容になるので、意味がある。矛盾も有れば指摘できる。だから、意思は議論の対象になる。

英語には時制があり、英米人には意思がある。意思は文章内容であり、気合には関係しない。

意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思が無ければ、仕方もないので、無為無策でいる。

日本人には意思は無いが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) が有る。恣意は文章にはならない。バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のまま存在する。’俺’ 、’俺’ のようなものである。文章にならないから、意味もない。議論にもならない。この状態では、自己主張にならない。募るものは、感情ばかりである。かくして、我々は興奮しやすい国民になるということでしょうかね。恣意は単語であり、気合を反映する。

 

>野党はぐちゃぐちゃで、今後自民党内で安倍降ろしが始まれば野党の存在は埋没すると大物野党OBが認めていると(サンデー毎日4月22日号)。

 

野党の自己融解ですね。政治音痴の結末ですね。

 

>やっぱりそういうことだったのだ。>これでは国民は救われない。

 

そうですね。我々には、政治哲学が必要です。無哲学・能天気では、政治音痴は治りませんね。

 

>いまの政治に愛想を尽かすはずである(了)

 

無哲学・能天気の日本人に、外国人も愛想を尽かすはずですね。

 

>(引用おわり)

 

 

 

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閲覧数1,038 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/05/08 16:28
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