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2018年05月09日(水) 

 

 

 

>2022年、「社会科」の授業が大きく変わる。>新学習指導要領にともない、これまでの歴史的事実の羅列を覚えるだけの いわゆる「暗記科目」から現実社会で生きていくうえで本当の意味での社会を知る科目へと変貌をとげる予定だ。

 

本当の意味が大切ですね。

 

>そもそも今までの社会科で学ぶ歴史も日本で学ぶ歴史と海外で周知されている歴史は大きく異なる。

 

日本は、特殊な国ですからね。風変りが、当たり前だったのでしょう。

 

>戦後の日本の教育があらゆる価値判断や因果関係を排除したちぐはぐな事実になっていることが要因といえるが、そのちぐはぐさがより歴史の授業を意味のないものに陥れていると言える。

 

そうですね。文章が無ければ、意味もない。バラバラの単語を並べて、用事を済ませるような我が国の言語環境では、価値判断や因果関係は表現できませんね。文章になれば、意味もある。矛盾があれば、それも指摘できる。だから、議論もできる。外国語の単語を丸暗記しても、それでは文章にはならない。文を作るのには、文法が必要である。だが、我が国には、文法学校 (grammar school) というような考えは存在しない。

 司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻語でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>新しく制定される社会科の中では公共の場において主体となって意思決定や行動のできる、主体性を育てることに注目した教育になっている。

 

主体性を育てることは、我われにとって大切ですね。しかし、日本人には意思が無い。だから、意思決定ができない。優柔不断・意志薄弱に見えます。

意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがないので、未来時制もない。だから、日本人には意思が無い。仕方がないから、無為無策でいる。自分自身で動きがとれない。だから、主体性が無い。

英文法には、時制がある。だから、英米人には、意思がある。有能な指導者が現れて、意思決定をする。

日本人には意思は無いが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) が有る。だが、恣意決定は出来ない。恣意は、どこの国でも認められていないからである。バカ殿さまの理不尽な申しつけの様なものに成る。恣意は、バラバラな単語になって、腹の底に溜まっている。そして、腹芸の原動力となります。

 

>今までのちぐはぐな事実の羅列を教える反復学習からの脱却の糸口となりえる可能性を感じる。

 

素読ばかりの勉強では、時代について行けませんね。事実の羅列の原因を理解することが大切ですね。

 

>今後の教育について必要なのは事実の暗記ではなくどれだけ主体性をもって社会に関わっていくか。

 

意思のあるところに方法 (仕方) が有る。Where there’s a will, there’s a way. 意思のある人には、解決法がある。だから、責任者になる資格がある。

 

>2022年の改定が良い方向に舵をきってくれることに期待する。 

 

そうですね。‘他力本願・神頼み’ ですね。どうなることやら。

 

 

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閲覧数528 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/05/09 09:07
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